おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

『なぜか上海』に寄せて(続きです)

 『なぜか上海』には、「なぜか上海」というフレーズは登場しません。ですので、なぜタイトルが『なぜか上海』なのか、よく分からないのです。

 

 シャンハイという地名はもうそれだけで詩心があるというか、詩心をくすぐるというか、端的に言いますと異国情緒が漂いますね。皆さん、「シャンハイ」と声に出して言ってみて下さい、しゃんはい。(ダジャレ中のダジャレって感じですね。本望です)

 

 私、凄い発見をしたんですよ。ちょっと興奮してます。

 私の電子辞書に入っている「新漢語林」で調べたのですが、日本には音読みでも訓読みでも、「しゃん」という漢字はないんです。よって、「しゃん」で始まる熟語は存在しないことになります。念のため電子辞書の広辞苑で調べたのですが、確かにありませんでした。外来語(シャンデリアとか)は沢山、副詞や擬態語・擬声語は少しありますが。

 「しゃん○○」という日本古来の言葉は無いとなれば、「しゃん○○」という言葉に異国情緒が漂うのも当然でしょう。香菜(シャンツァイ)の香りのように。

 そして上海は、その語感から選ばれるべくして選ばれた、真夏の夜の異国の空気感を体現する街なのです。天才・井上陽水は、自分でもなぜとは分からぬままに、そんな上海を舞台に、あのような神曲を作ってしまったのでしょう。

 「出来ちゃったんですよね~。なぜか上海で~」こんな感じ?

 

 ところで、「シャン」と言えば、昔の学生言葉で「美人」という意味がありますが、そこからの派生語で、「バックシャン」という女性をからかう言葉がありました。昭和の思い出ですね。でもバックシャンたるには、少なくとも背筋がしゃんと伸びているようでなければならないわけで。この年になると、むしろバックシャンは憧れですね。電子辞書であれこれ探している内に、なぜかそんな結論に至ったのでした。では。