おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

⑤「希少価値」について考えている(見つける)

 希少性のあるものに惹かれる、これはもう人間の本能なのでしょう。ということであれば、希少性のあるものをより多く「手にする」事が出来れば、喜びや満足感や、ひいては人生の幸福度と言ったものまでが高まると言うことになりますまいか。

 ところが、ここで立ち塞がるのが、希少価値のあるものは高価であるというハードルです。これはなかなか越えがたい。お金の有る無しに幸福度が左右されるなんて、世知辛いなあ。分かってはいても・・・。

 でも、ちょっと見方を変えてみて下さい。

 私たちが「手にする」事の出来るものには、有形なものと無形なものとの二種類があります。有形なものには値段があり、希少であればあるほど高価で入手しづらく、あるいは入手しづらいがゆえに高価なものとなります。

 でも一方の無形なもの、「心に残るもの」とでも言い換えましょうか、それはプライスレス。経験や人間関係や学んだことや思い出や、たくさんの「心に残るもの」がありますが、全て「私だけ」の一点もの、希少なものですよね。「心に残るもの」がたくさんある人は、希少価値のあるものをたくさん所有する心の豊かな人、幸福な人であると言えるのではないでしょうか。ちょっとこじつけ気味ではありますが(笑)

 

 なんだか理屈っぽいことをだらだらと書き連ねてしまいました。ここからは私が最近見つけてカメラに収めた希少なもの(珍しいもの)をご覧頂きたいと思います。

 

 弘前公園イチョウの大木。盆栽の「根上がり仕立て」のように根が露出している。

 

 弘前公園のお堀にて。同じポーズのカルガモとカワウ。

 

 うっすら見える二重虹。

 

 「根上がりのイチョウ」ですが、見慣れてしまって、いつもなら素通りしてしまう場所なのです。が、この日は観光客と思しき方が写真を撮っておられ、ハッとしたのでした。「私の目には普通の光景でも、旅行者にとっては一期一会。希少な出会いなのだ」と。

 私だって、旅行先でこのような巨木に出会ったならば、「わー!」と歓声をあげて写真を撮っただろうと思います。結局は心の持ちようなのだと思わされた、そんな時間でした。

 

 「カルガモとカワウ」は、ポーズが同じになったのはただの偶然で、カワウが珍しくて写真を撮ったのです。カワウ自体は珍しい鳥ではないと思いますが、弘前公園のお堀で見たのはこの日が初めてです。「お堀にカワウ?」という驚きで撮った一枚、珍しさ=希少性を見いだすのもまた、心の働きです。

 

 「二重虹」の写真には三段階の発見がありました。最初はあまりにもくっきりとした虹の姿に、「こんなに鮮やかに虹が見えるのも珍しい」という軽い驚きでした。そして、ふと気づくと二重虹になっていたのです。二つ目の「珍しい」でした。

 そして、三つ目。スマホカメラのレンズを覗いていて気づいたのです。「虹を横切る電線が虹色だ!」と。見たことあります?虹色の電線!希少でしょう?(価値があるかどうかはともかく)。少なくとも、「虹と一緒の虹色の電線」の写真は私の一点ものです。私が見いだした「私だけのもの」です。

 

 五回に渡って長々と書き続けた「希少価値」を巡る私の考察。お付き合い下さりありがとうございました。内容は至って平凡、珍しくもないものだったと思います。でも、書いている間、私はとても楽しかったです。考えが整理されていく楽しさもありましたし、何より「私のブログ」のページが増えていくわけで、それは、あれっ、あれっ?ちょっと待って!

 ブログのページが増えると言うことは、記事の希少性は減っているということ?

 そうなの?

 

 いやいや、そんな事はないですよね。希少性を決めるのは心の持ちよう。私が、そして読者の皆さんが、「毎回ダジャレを楽しめる希少なブログ」と思っていれば、このブログには「希少性」という人類普遍の価値がつくはずです。どうぞ皆さん、希少なブログの読者であることに喜びを見いだし、毎日欠かさずお読み下さいね。出来れば朝一番、起床時に。では。