おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

テレビで映画を観る時、昭和なら

 昨日は映画『グラン・ブルー』の感想をつらつら書きました。

 拙ブログ読者の皆様はとっくにお気づきかと思いますが、私は何かを「みた」後は、感想を言語化しないと気が済まない性分なのです。自分の中に生じた思いを言語化出来て初めて「みる」という行為が完結するのです、私は。

 そして、その感想を誰かに話すことができればなお良し。相手の感想も聞ければパーフェクトなのです。

 さて。

 『グラン・ブルー』を観終えたとき、あまりにも意外なラスト過ぎて、ポカンとなってしまって、

 「ここで解説が聞ければなぁ」

と思ったのです。そして、懐かしく思い出しました。

 淀川長治氏、荻昌弘氏、水野晴郎氏、懐かしいお名前でしょう?(他にもいらっしゃるのでしょうが青森県の民放事情がありまして)

 昭和のテレビの映画劇場では、本編の終了後、短い「解説」がありましたよね。「へー」とか「なるほど!」とか、時には「ちょっと違うんじゃない?」とか思ったりしつつ解説をきき、いやー、映画って本当にいいものですよねーと頷きつつトイレに行ったり、歯磨きに行ったり。それが映画を観終えるということでした。

 解説を聞くという一方通行ではありましたが、たった今見終わった映画について、ちょっとしたおしゃべりが楽しめる時間。

 なくても困ることはないけれど、あればとっても嬉しい、私にとって映画の「解説」は食後のデザートのような存在だったのかもしれません。

 勿論、世の中の人、みんなが皆そうではないということも分かっています。「解説」というものを蛇足と感じる人もいれば、そもそも言語化するということに抵抗を感じる人もいますよね。

 そういう人は、本編が終了し次第チャンネルを変えるか電源をオフにすればいいわけで、そういった点もテレビ解説の便利なところです。対、人(私のような語りたい人)が相手では

 「聞きたくない」とか

 「黙ってて」なんて、

なかなか言える事ではないですものね。

 思い返せば、しばしば長広舌をふるっていた私、うんざりしながら心の中で、

 「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」

と思っていた人もいたでしょうね。相手の気持ちなんてお構いなし、自分の感想を喋りたい一心でしたものね、若い頃は。お恥ずかしい。

 いやー、エゴって本当にイタイものですねー。

 それでは。