滅多に映画館に行くこともないのですが、先週の『ミッション・インポッシブル』に続き、今日は菊地凛子主演『658km、陽子の旅』を観てきました。
邦画はあまり観ないのですが、この作品は主人公・陽子が弘前市出身という設定であるということ。上海映画祭で賞をとったとかであること。そして、家に居ると暑い!そんな事情がからまって、行ってきたのでした。
映画は「ロードムービー」というジャンルになるのかな?
弘前を出てかれこれ20年、ほとんど引きこもり状態で東京で暮らす陽子、42歳。独身。声を出すことも滅多にない生活のせいか、コミュ障。
20年会っていない父が亡くなったという報せに、急遽弘前に帰ることになった。間の悪いことに、携帯電話が壊れた。さらにアクシデントは続き、2,432円の所持金しかない状態で、途中のサービスエリアに置いてきぼり。ヒッチハイクで弘前を目指すことに。出棺は明日の正午。
こう書くと、ハラハラドキドキの展開かな?と思われるかも知れませんが、さにあらず。どんよりとした展開が、どんより続きます。
私の好悪で言えばあまり好みではなく、退屈でもないけれど惹き込まれもしない、そんなところです。
ただ、映画の感想というわけではないのですが、ちょっと考えさせられた事が二つあるので、書きたいと思います。
一つ目
携帯(スマホ)が無い生活は、もはや考えられないということ。もし、自分が旅行中に携帯を無くしたとします。
・列車の乗り換えが分からない
・待ちあわせ相手(息子達とか)と連絡がとれない
・ホテルにたどり着けない
そんな危機的状況が予想されます。コミュ障の陽子はヒッチハイクするために勇気や知恵を振り絞り、そして大きな間違いもおかします。自分も旅先でスマホを失くしたらと考えるとガクブルものです。スマホ依存は危険と分かりつつも、もはやスマホ無しの旅は考えられない状況にあるのです。どうしましょうね。
二つ目
陽子の旅の要所要所で、父の幻が現れます。無言で。演じるのはオダギリジョー。42歳の設定の陽子なのですが、「今私は、別れたときの父の年齢なんです」というセリフがありました。なので、陽子の記憶にある父はオダギリジョーなのです。42歳の。
死に別れたのではない。20年会っていないという父娘。お互いの積み重ねた20年を何も知らない。突然対面するのは、いきなり64歳になった父の亡骸。どんな思いで見つめるのだろうか。
この映画をざっくり言ってしまえば、「陽子の変化(成長?)の物語」ということになると思うのですが、同時に、人生には悔やんでも悔やみきれないことがある、そんなふうにも思いました。どんよりな感想ですね。
エアコンが効きすぎの映画館で2時間のロードムービー。冷房対策をしっかりとして、「映画という旅」に出るのも、夏の過ごし方として悪くないですね。津軽弁では、
イオンシネマも、ながなが、いおん。
(イオンシネマもなかなかいいよ)
ということで、では。