おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ゆみちゃんとジョン万次郎

 弘前市立和徳(わっとく)小学校の近くにかつて、「ゆみちゃん道路」と名付けられた歩行者専用道路がありました。

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 昭和44年からおよそ30年間、「ゆみちゃん道路」は和徳小学校に通う児童はもちろん、狭いガード下道路を迂回する大勢の歩行者の安全に寄与してきました。

 上の写真は、新しい道路の完成に伴い姿を消した「ゆみちゃん道路」を記念して建てられたものです。「ゆみちゃん道路」誕生の由来が詳しく書かれています。

 昭和42年当時、和徳小学校四年生だった由美さんが、危険な通学路の改善を切々と訴える手紙を県知事に送り、それがきっかけとなって誕生したのだそうです。

 ところが。

 「ゆみちゃん道路」の名称は弘前市民はおろか、近隣の市町村の住民にも知られるほど有名だったのですが、なぜかその由来については正しく伝わってはおらず、かなりの確率で間違った方を信じている人が存在するのです。都市伝説ってやつですね。

 いわく。「昔、ゆみちゃんという女の子が、和徳のガード下で車にひかれて死んでしまった。それで・・・」

 もちろん、ゆみちゃん(現在はゆみさんですね)はご健在です。弘前市では非常にメジャーな都市伝説なので、恐らくご本人もご存じなのではないかと思います。この伝説についてどういうお気持ちでおられるのか、伺ってみたいものです。

 

 話は変わって、江戸時代末期に漂流民となってアメリカで過ごし、11年後に奇跡的に日本に帰ってきたジョン万次郎こと、中浜万次郎についてちょっと面白いネタを書きたいと思います。

 その前に、皆さんは次のような笑い話は聞いたことがありますか。

 「田舎の畑の中の道を歩いていると、掘った芋が積んであった。立派な芋を眺めていると、農家のおじさんに、”What time is it naw?”と、いきなり英語で尋ねられた。ところが驚きながらもよくよく聞いてみると、それは英語ではなく、『掘った芋いじるな!』という日本語だった」

 この話が実はジョン万次郎に深い関わりがあったのです。

 ジョン万次郎は後年、英語教師として幕末の武士達に英語を教える事になるのですが、英語を話せる唯一にして最初の日本人だったわけですから、その教授法も彼のオリジナルでした。特に、発音に関しては彼が自分の耳で聞いたとおりに再現し、日本語で表記するわけですから、現代の私たちの習う物とは違っていました。

 例  anything エネセンキ  tune up ツナベ  hundred ハンヅレ

こんな感じです。そして、上に書いた、What time is it naw=掘った芋いじるな、これもはっきりとした資料は無いものの、ジョン万次郎が出所とされているのだそうです。

 

 1827年に土佐の漁師の子に生まれ、9歳で父を失った万次郎は読み書きを習うことも無く重労働に明け暮れます。そして14才で漁師になった途端、嵐で外洋を漂流することになってしまいました。その後は超人的な努力と忍耐により、英語は勿論、様々な知識・技術を習得し、有為な人材としてついに帰郷を果たします。

 万次郎が故郷に帰ったとき、幸いなことに母も姉弟も息災でした。14才で海の向こうに消え、死んだものと諦めていた息子が、25才の立派な若者になって帰って来た時の母親の驚きと喜びはいかばかりであったか、想像しただけで目頭が熱くなります。

 

 今日の記事は、ゆみちゃんと万次郎は「死んだと思われていたが生きていた」つながり、ということで書きました。でも考えてみますと、スケールはちょっと違いますが、諦めないで「道を開いた」という点でも、共通点のある二人と思いました。

 そして、漂流した万次郎はまさに「命拾い」したわけですが、お陰様で私はこうして「ネタ」を拾うことが出来、大変、happy ハペ なのです。では。