おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「オミクロン株」という命名について

 「オミクロン株」爆誕、という感じで世界が右往左往しています。勿論、これから迎える年末年始、私だって心配なのです。

 

 新型コロナウイルスの変異株の名称については、WHOがギリシャ文字のアルファベットの順に命名するという事になっています。ついこの間までは「デルタ株」が最も警戒すべき株であり、その後に確認された「イプシロン」「ラムダ」等、8種類の変異株は、ほとんど消滅していったということです。

 そして、本来の順番から行くと、「ミュー」の次である「ニュー」と命名されるはずの新変異株は、「ニュー」とその次の「クサイ」を飛ばし、「オミクロン」と命名されたと言うことなのです。

 この命名を巡って、次の様な新聞記事(東奥日報)を読みました。

 米FOXニュースは新たな変異株の命名について、WHOが中国への配慮などから原則を曲げたとの見方が出ていると伝えた。

 WHO報道官は、「ニュー」は英語の「new(新しい)」と混同されやすい。「クサイ」は一般的な姓であり、WHOはいかなる集団にも嫌がらせとなることをしない

 

 ちょっと解説を加えますと、ギリシャ文字アルファベットの14番目である「クサイ」は「Xi」と書くそう。そして、それは中国の国家主席習近平氏の姓名の英語表記「Xi Jinping(シー・チンピン)」の、姓の部分に酷似しているという事なのです。

 

 「なる程ねえ」

 これが上の記事を読んだ時に真っ先に浮かんだ私の感想です。「ニュー株」では、固有名詞なのか「新しい株」という一般名詞なのか区別がつきづらい、これは納得です。

 問題は次の「クサイ株」です。

 全くの偶然ですが、私達日本人はこの「クサイ株」が回避されたことには賛成という人が多いかと思います。理由はお分りでしょう。日本語にありがちな同音異義語問題です。小学生とか、絶対に誤解しますよね。いい歳をした私だって、すぐに「この対応は臭いものに蓋をしようとしている」といったダジャレを言いたくなりますもの・・・。

 えー、話を「習=Xi」問題に戻します。

 私は無用な軋轢を避けるために新変異株に「Xi」を採用しなかったという点は、賢明であったと思います。ネット上に広がっている悪意に満ちた(面白半分の)書き込みの酷さを知っているので、「Xi株」という名称がどの様な文脈の中で使われるか、容易に想像がつくからです。

 ただ、私がひっかかったのは、WHOの釈明にある「いかなる集団にも嫌がらせとなることをしない」という部分です。そんな事は不可能だと思うのです。

 世界には多種多様な言語・文化があります。そのいずれにも差し障ることが無いようななんて、そんな事が可能でしょうか。実際、「習=Xi」という理由で却下された「クサイ」というギリシャ文字ですが、もしも採用になっていたならば前述のように、戸惑いや不快感を覚える日本人は少なくなかったかも知れないのです。(ちなみに、日本語はそれを母語として話す人が世界で9番目に多い言語です)

 WHOは、「いかなる」なんて大げさな方向に話を広げるのでは無く、もっと率直に理由を説明すべきだったのではないかと思います。率直こそ、痛くもない腹を探られるような事を避ける、最も優れた方法だからです。

 

 それにしても、FOXニュースの言う、命名の原則を曲げて「クサイXi」を採用しなかったのは中国への配慮だと言う見方。世の中には嗅覚の鋭い人がいるものだと感心しきりなのです。では。