おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

悟空→花魁→ビートたけし

 You Tubeで、目撃談を語るというような動画をみていて、笑いつつ、ちょっと考えた事があります。まず、動画で語られた内容をザックリ紹介します。

 「駅のホームにて。久しぶりの対面に人見知りする孫。ドラゴンボールの悟空の人形を抱いて、下を向いたっきり。困る祖母らしき人。なんとか孫と打ち解けたいと思ったのか、そのお婆さん、シャドウボクシングのような動きで孫の回りをまわりなが、『オッス、おらババァ』。そばに立っていたサラリーマン、飲んでいた缶コーヒーを鼻から吹いた」

 有名なお話のようなので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れません。

 笑った後、私が考えたのは、この話には二重の面白さがあるということです。

 一つはそのお婆さん自体の面白さ。もう一つは、「おら」という一人称は悟空とそしてまさにお年寄りのものだということです。

 少し前までは「おら」は田舎の人がよく使う一人称だったと思うのですが、最近の若い人は、田舎であっても「おら」はあまり使わなくなっているのではないでしょうか。(地域によってはまだまだ根強いというところもあるかもしれませんが)

 日本語には役割語というものがあって、例えば語尾の「〜じゃ」は老人を表すとかが、その例です。そして、「おら」という一人称は田舎の人を表す役割語だったそうですが、今の私達の耳には田舎の人全般ではなく、「田舎の老人」という印象だと思うからです。

 山里で育った素朴で元気いっぱいの少年・悟空、「おら」という一人称はそのキャラクターを表現する役割にぴったりな選択ですね。

 ところで、つい最近なのですが、「花魁(おいらん)」の語源について、知ったことがあります。以前から、「男を騙すが、狐や狸のように尾はいらん→おいらん」という眉唾な説は知っていました。が、今回知ったのは、「妹分の遊女たちが、おいらんちの姉さん、と呼んだことから花魁」というものでした。いくつかある説の一つということですが、成程と思わせられます。

 江戸の頃は若い女性も自分のことを「おいら」呼びしてたのか。現代ではほとんど死語、ビートたけしぐらいじゃないですか?

 で、そのビートたけし氏ですが、無意識なのか意識的選択なのか、「おいら」という一人称に担わせようとした「役割」はどういうものなのか?気どらなさ?江戸ッ子ぽさ?気になります。

 真意は分かりませんが、個性的と言う点で一人称「おいら」、上手い選択だと思います。言動はオラオラ系ですがね。では。