おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

『敬老会』にて

 あー、疲れたー。午前中、珍しく働いたー。

 今日は敬老の日ですが、我が家が所属する町内会では三年ぶりに、75歳以上を対象とする「敬老会」が実施されました。内容は大幅に縮小され、参加者も30名程度という小規模な催しとなったのですが、私にもお声がかかったのでした。勿論、出席者としてではなく、お手伝いを頼まれたと言うことですよ。狭いご町内のことです、私が暇人であるというのは皆さんご存じのようで・・・。

 

 お手伝いとは言っても、私が頼まれたのは受付と記念品のお渡しという、どうということもない役割でした。働いていた頃も、似たような役割は何度もしたことがあって、ちょっと懐かしい気分になりました。

 でも、面白いものですね。「敬老会」という参加者が高齢者ばかりという集まりになりますと、今まで経験したことの無い、思いがけない出来事に出会うのでした。

 

 先ずは、出足の早さです。「敬老会」は町内の集会所で行われ、皆さんご近所からおいでになるのに、30分も前から続々と集まり始めました。

 《早いなあ。すぐ近くから来るのに30分も前に来るなんて。以前どこかで、年寄りがせっかちなのは先が短くて持ち時間に余裕が無いからだ、と聞いたことがあるけれど、そういうことなのかねぇ》、声には出さない私の心の声です。

 開始10分前で、まだ見えておられない方が数名ありました。そうしますと、主催者側の一人(75歳以上)が「○○さんに電話してみる」と、まだ来ていない○○さんに電話をかけていました。

 《10分前なのに・・・。待てないのは先が、以下略》、私の心の声です。

 その後、一人、二人とおいでになったのですが、ある方が私に次の様におっしゃいました。

 「私は自転車で来たんだけれど、角の手前で△△さんが腰を下ろしていたんだよね。ここに来る途中で休んでるんだと思うんだけれど」

 「分かりました。行ってみます」

 そうお答えして、私は角の向こうに様子を見に行きました。

 △△さんは縁石に腰を下ろしていました。

 「敬老会に行かれるんですよね」

 そう訪ねますと、△△さんはゆっくりと頷かれました。そして、

 「大丈夫だから、先に行って下さい」

そうおっしゃいますが、そうは行かないのです。「ゆっくり休んで、一緒に行きましょう」と、そうとしか言いようがない。相手にプレッシャーになるだろう事は分かるのですが、一人残すなんて出来ないし。

 結局、立ち上がった△△さんと並んで集会所まで歩いたのですが、△△さん、速い、速い。「もっとゆっくりでいいですよ」とお声がけしても、ぐんぐん歩いて行かれるのです。一人だったら、もっとゆっくりご自分のペースで歩かれただろうか。一緒に歩いたために無理をさせたのでは。でも一人には出来ないし。と、色々考えてしまいました。難しいですね。

 それにしても、徒歩圏内の集会所(駐車場無し)まで来るにも、徒歩、杖をついて徒歩、途中に休憩を取って徒歩、自転車、家族の車での送迎と手段は様々で、年をとることもまた多様性を生むのだなあと思いました。

 そして、私の心の声が言いました。

 《なるほど、敬老会に参加できる方でもこうなのだから、人間、最後の最後は『お迎え』が必要になるはずよね》

 さて、参加予定者が全員無事にそろい、会はスムーズに進行されていきました。

 その間、私は会場の外で一緒に受付をした方(Aさん)と少しおしゃべりをしていました。

 私  「欠席の方が無くて良かったですね」

 Aさん「そうだよね。本当はあと二人出席の予定だったんだけど、入院しちゃって出られなくなったんだって。あと、うちの近所で、敬老会の出欠をとった後で亡くなった方があって。欠席で出してたらしいんだけど、もしその方が出席だったら、それも一減だよね」

 私  「敬老会って、無事に出席するまで大仕事ですね」

 

 「遠足は家に帰るまでが遠足です」とは良く聞きますが、「敬老会は、出席して家に帰るまでが敬老会です」そう認識しました。

 そして私がひそひそ話をしたり、くだらないことを考えているうちに、会は無事お開きとなりました。

 何はともあれ、無事に終わった敬老会。コロナ禍をおして出席された皆さんが、久々の再会を互いに喜び合う姿はとても微笑ましいものでした。改めて一日も早く以前の生活を取り戻せる日が来ることを、強く強く願ったのでした。

 

 最後にちょっと訂正です。冒頭に「あー、疲れたー」なんて書きましたが、実はたいして疲れてもいないのです。重労働をしたわけでも無いので。軽労働でしたよ、敬老会だけにね。では。