おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

手指消毒と渡船

 皆さんは、英語は聞く事と話す事と、どちらが得意ですか?「どっちもダメ」、分かります(笑、ゴメン)

 ね〜、中学高校の6年間、私達は何をしていたんでしょうかね。

 と思う私ですが、「聞く・話す」どちらか無理にでも選べと言われたら、「話す」を選びます。理由は、「話す」事は自分の力量の範囲で無理矢理どうにか出来る(かも)だから。

 私が(何回かの挫折を経て)思うに、英語の力って結局「語彙(単語と熟語)」と「発音」だと思うんですよね。言いたい事があっても、「それを英語で何というか」知らなければ、どうしようもない。とにかく知ってる単語を並べるのみ。

 聞くことに至っては、知らない単語は意味どころか、満足に聞き取ることさえ出来ない。手も足も出ない状態です。

 でも、この事は何も外国語に限った事ではないと思うのです。例え日本語であっても、聞いたことのない言葉、知らない言葉は、まともに聞き取れないことがあるのです。

 

 今でこそ一般的になりましたが、一番最初に「しゅししょうどく」と言われた時、皆さんは直ぐにピンときましたか?私は一瞬の間があって、言われている意味自体は理解したものの、「この人は、て、ゆびの消毒と言うべきところを間違って、しゅし消毒と言っているのではないか?」そんな風に思いました。「手指消毒」って、60年生きてきて、その時始めて聞いた言葉だったのですから。

 もう一つ。先日の城崎旅行の折の事です。

 

 

 渡し舟の事でした。玄武洞駅の駅員さんはとても親切で、改札を出る私に声をかけてくれました。

 「とせんの予約はしてありますか?」

 「?」

 私は意味が分からなくて返事ができませんでした。直ぐに後ろから夫が、

 「はい。してあります」と答えてくれました。

 ああ、とせん=渡船、(わたしぶね)ね。飲み込めました。言われてみれば、「とせん」という言葉もありますね。けれども自分の中では、「渡し舟」とばかり思っていたので、本当にポカンとしてしまいました。

 このように外国語に限らず、人間は聞いた事のない言葉には反応のしようがないですよね。結局、人間が言葉を話したり聞き取ったりするためには、「言葉に接する」事が不可欠です。聞く、読むで語彙(発音)を蓄え、その上で話す、書くが可能になると思います。

 日本語を覚えるのも外国語を覚えるのも、結局はどれだけ沢山の言葉に触れるか(学ぶか)なんでしょうね。つまるところ、私が英語が話せず聞き取れないのは、勉強が足りないという一事に集約されるわけですね。

 

 手指消毒と渡船の例をあげた今日のブログですが、「学んでいない言葉は理解出来ない」という趣旨、ご理解頂けたでしょうか。

 「我、この一文を怠惰の反省文とせん」という思いで書きました。以上。では。