おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

①曽我兄弟の仇討ち

 日本三大○○には実に様々なものがありますが、「三大仇討ち」というものもあります。
 「三大仇討ち」は、コトバとしては知ってはいました。忠臣蔵でしよ、曽我兄弟でしよ、あと一つは何だっけ?こんな程度に。調べましたら、あと一つは、「鍵屋の辻の決闘」というものでした。
 「鍵屋の辻」は今初めて知ったわけですが、実は、「曽我兄弟でしょ」なんてさらっと書いたものの、こちらも「曽我兄弟」という名称を知るのみで、いつ、どこで、誰を、なぜ?と言った内容については、全く無知。知ってること何にもナイヨウ、でした。
 
 4月から、何十年かぶりにNHKの大河ドラマを観ています。『鎌倉殿の十三人』。面白いんですよね。どこがどうとは言えないのですが、毎回毎回面白い。
 そして、少し前の放送が「曽我兄弟の仇討ち」の回だったのです。
 お陰様で事件のあらましは分かりました。でも、今ひとつピンと来ないのは、それが何で「三大仇討ち」の一つに数えられるほどの有名な事件になったのか、そこですよ。「忠臣蔵」なら分かります。スケールが大きい。「鍵屋の辻の決闘」は、荒木又右衛門という有名な剣豪が登場人物の一人と分かり、そのネームバリューと人気の為せる技なのかなとか、想像するのです。
 でも、「曽我兄弟」の方は(もちろん私の無知もありますが)、どこが「凄いポイント」なのか良く飲み込め無いのです。が、ドラマの仇討ちの回、ナルホドそう来たかと思わせられる展開でした。

 「私に対して謀反などあってはならぬ」と言う頼朝に対して、「その通り、此れは謀反に見せかけた仇討ちなのです」と答える北条義時
 「曽我兄弟の仇討ち、見事である。兄弟は手厚く葬り、その快挙は長く讃えよ」と、頼朝。
 ああ、こうして「曽我兄弟の仇討ち」は後の世まで伝えられ、日本三大仇討ちの一つに数えられる仕儀となったのかと、私はいたく感心したのです。
 脚本家(三谷幸喜)の想像力・創造力って凄いなあ。史実とは言っても、巷間伝えられるのは断片の寄せ集めだったりします。その隙間をどのように埋めるか。脚本家の腕の見せ所であり、私たち視聴者にとってのお楽しみ所ですね。
 それまでの放送でも、水鳥に驚いて平家の武者たちが散り散りになるという有名な場面で、北条の爺さんと三浦の爺さんのどつき合いがその原因という面白解釈がありました。また、巴御前のその後の扱いのユニークさとか。三谷幸喜の発想、面白いなあ。
 これからも『鎌倉殿の十三人』は楽しみに見続けようと思っています。でも、これからはドンドンなじみの登場人物が殺されるという鬱展開になっていくようです。そう言えば、13という数字は世界共通の不吉な数らしいのですが、タイトルの「13人」もそのことを暗示しているのでしょうか。
 この先の展開も、頼朝亡き後の二代将軍・頼家の運命も悲しいものですが、きっと腕によりをかけて料理してくれる事でしょう。興味深いです。続く。