おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

①私の記憶の中の糸山氏と糸川氏

 人間、年をとるとさまざな場面で「衰え」を感じるかと思います。肉体の衰えも甚だしいのですが、私の場合はなんと言っても「記憶力」。記憶力の衰えが凄まじく、悲しいやら情けないやら。腹立たしく感じる事もしばしばです。

 しかも困ってしまう事には、そんな状態に有りながら、昔のことはやけに鮮明に覚えていたりして。情けなさと諦めきれ無さのようなものの間で、いつも右往左往してしまうのです・・・。

 

 蓮舫氏のご長男が自民党に入党、というニュースはご存じでしょうか。そのニュースの見出しには「へえ」と思ったのですが、内容を読んで、見だし以上に衝撃的だったのは、「糸山英太郎氏と養子縁組」という一文でした。

 糸山英太郎氏って、あのお金持ちの、超お金持ちの、日本有数の資産家の、あの糸山英太郎氏よね。へえ!へえ?なんで?何のため?実子はいないの?奥さんはどうなの?あんまり気になって、いろいろネットでググったところ、大変興味深く面白い時間が過ごせました。皆さんもお時間とご興味がおありでしたら、ゼヒ調べてみて下さい。

 

 さて、冒頭で、私は老化の中でも記憶力の衰えに一番ショックを受けていると書きましたが、それは、「私は若い頃、記憶力だけは人並み以上だった」という自負があったからだと思います。運動神経が良かった人は運動能力の衰え、容姿が良かった人はその衰え、人は老化の中で、自分の中の密かな自慢あるいは恃むところと言いますか、そういったものの衰えが一番堪えるのではないでしょうか。

 話をもとに戻します。

 うん十年ぶりに「糸山英太郎」という名前を目にした時、私の脳裏に突然浮かび上がって来たセリフがありました。自分でも不思議です。なぜそんな事を覚えているのか。

 

 「私はたとえ殴られても蹴られても、決して辞めません」

 これは私が子供の頃に、テレビから流れてきたある男性のセリフです。その男性は選挙違反によって陣営から大量の逮捕者を出し、「議員を辞職しないのか」と報道陣から詰め寄られていたのでした。そして、そのことに対しての答えが上のセリフです。

 あれ、確か「糸山英太郎」じゃなかったかなあ。でもちょっと待って、年齢が合わなくないか?若過ぎない?私の記憶違い?

 ネットで調べました。

糸山英太郎氏は、

 1942年(昭和17年)6月4日生まれ(現在79歳)

 1974年(昭和49年)参議院議員当選(32歳)

 間違いありませんでした。

 32歳という若さで参議院議員に当選した氏は、金権選挙という世間の猛烈な批判や白眼視をものともせず、「決して辞めない」の言葉通り、任期をまっとうしています。さらに、さすがに参議院二期目は諦めたものの、その後は自民党から衆議院選挙に出馬し、三回当選しています。

 

 凄いなあ、良くも悪くも一般人とは神経の太さが違う!(氏の経歴をみても、並の人間とは桁外れの行動の数々です)

 そんな糸山氏を義父として、これから薫陶を受けることになる蓮舫氏のご長男。興味津々です。

 

 と書いているうちに、すっかり長くなってしまいました。今日はここからもう一人、やはり一般人とは桁違いの天才、糸川英夫博士について書く予定だったのに。

 そもそも、なぜ私がタイトルのように「糸山氏」と「糸川氏」を並べたかと言いますと、それもやはり「記憶」に関係があるからなのです。

 若い頃は記憶力が良かった私の頭には、昔の記憶がゴチャゴチャと詰まっています。ところが、それをスムーズに取り出すという機能が衰えているのです。例えば、知っているはずの言葉がスムーズに出てこないとか。

 私の頭の中には「糸山英太郎」と「糸川英夫」という人名が記憶されています。ところが、このお二人の名前がちょっと似ている(似てますよね?)ために、「あれ?どっちがどっち?」という記憶のもつれが生じたりするのです。

 よし、この際だ。「糸山英太郎」と「糸川英夫」。二人について調べて記憶をしっかり確認しよう、そう思ったのです。そして、その結果、素晴らしい収穫があったので、それをゼヒ皆さんにもお知らせしたいと思っているのです。

 続きは明日(多分)、ワクワク気分でお待ち下さいね。どのぐらいワクワクして頂きたいかと言いますと、小惑星イトカワ』から『はやぶさ』が何を持ち帰ってくれるのかワクワクしたあの気分ですよ(大げさ?)。では。