おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

雪掻きてんでんこ、でもない

 遠く離れたトンガの火山の噴火が、津波という現象をこの日本にもたらすなんて!

 理屈では理解できても、気持ちは驚きに翻弄されているという感じです。トンガは勿論、周辺国でも日本でも、被害の軽微であることを祈るばかりです。

 

 「津波てんでんこ」という標語が有名ですが、私はそれをもじった「雪掻きてんでんこ」というのを心に思っていました。

 「てんでんこ」は標準語では「めいめいで」とか「各自で」という意味ですが、裏返すと、「他人に構ってはいられない」ということでもありますね。

 雪国で暮らしておりますと、雪掻きは大仕事です。ただ単に肉体労働だというだけではなく、朝の忙しい時間帯にしなければならないという大変さがあります。更に、今年のような大雪の年は、雪掻きしようにも雪の置き場が無くなってしまうと言う困難があるのです。

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大雪の弘前市。さすがにここまで立派な氷柱は珍しいです。

 

 弘前市でも少子高齢化は確実にすすみ、老人ばかりの世帯や独居老人世帯が多く見受けられます。皆さん、雪掻きにお困りでしょう。大変だろうなとは思います。でも、雪掻きに疲弊しているのはどの世帯だって同じ。雪掻きのし過ぎで万が一腰でも悪くしようものなら、自分の家の雪の始末にも難儀するのは目に見えています。まして、手伝おうにも雪の捨て場(置き場)が無くては手の出しようも無く、やっぱり各家の雪は各家で解決して貰うしかない。「雪掻きてんでんこ」なのだと、そんな風な諦めの心境でいたのです。

 私の家の前の道路は狭く、市の除雪車は入ってこないところで、普段は住民がそれぞれの家の前を『ママさんダンプ』やスコップを使って雪掻きしています。困るのは、人力で雪掻きをしていると段々と道路の雪が厚くなっていって、暖かくなったときに轍が深くなることです。車のハンドルをとられるし、バックでの車庫入れが出来なくなったりするのです。

 ところが、数年前からです。すぐ近所の方が立派な除雪機を購入し、あまりにも大量の雪が降ったときには、私の細腕を見かねるのか、私の家の前まで除雪をして下さるのです。今年もすでに何回かお世話になりました。お陰様で車庫入れに困らず暮らせているのです。

 さらに、一週間ほど前の事です。小型のブルドーザーがやって来て、その狭い道路から本道路までを、グイグイと除雪してくれているのです。ちょうどその時、私は歩いて買い物に行って帰って来たところだったのですが、私に気づいた運転手さんはブルドーザーを止めると、親切に声をかけてくれたのです。

 「ゆっくりでいいから。ゆっくり歩いて。ブルドーザーの跡は滑るから気をつけて」

 私は感謝でいっぱいになりながら、ちょっと聞いてみました。

 「あの、各家の前に残った雪は、もう片付けてもいいでしょうか?冷え込んで堅くならないうちにやりたいと思って」

 その運転手さんは本当に親切な方で、親切さが溢れる声で答えてくれました。

 「私はボランティアで、除雪はするけど排雪までは出来ないんだよね。ごめんね。今もう少し丁寧に除雪して、なるべく家の前に残さないようにするけど、少しは残ると思うから、それは済みませんけどお願いしますね」

 ボランティアの除雪!

 初めて聞きました。一体どういう方なのでしょうか。知り合い何人かに聞いてみたりもしたのですが、「聞いたこともない」という答えが多く、一人だけ、もしかしたらという前置き付きで「建設業組合とかかも」ということでした。

 いずれにしろ、地獄に仏とも言うべき有り難さでした。「雪掻きてんでんこ」どころか、近所の方といいボランティア除雪の方といい、人の有り難さをつくづく思わせられる話なのです。

 今日は久しぶりに、雪の降らない一日のようです。先日のブルドーザーの威力で、マンホールの蓋が露出しています。周りが雪に覆われていても、マンホールの上だけは内側の熱のせいなのか、雪が溶けているのです。

 今日のブログは、同じように、人の内面の暖かさに触れ私の「雪掻きてんでんこ」という、ちょっと斜に構えた物の見方も溶けましたよと言うお話でした。お読みになって少しホッとした気持ちになって頂ければ幸いなのです。では。