おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

美味しいものには切りが無いという話

 新年最初のブログです。

 更新を楽しみに待って下さっている読者の皆様に早く新しい記事を、とは思っていたのですが、引きこもり生活もあって、本当に話の種が無いのです。困っています。ゆる~い内容ですが、今年も宜しくお付き合い下さい。

 

 「桃山」という和菓子はご存じでしょうか。ねっとりとした、焼き菓子と生菓子の中間のようなお菓子です。私は、あれ、あんまり好きじゃ無いんですよね。理由は一言で言うと「美味しく無いから」。でも、この言い草はあんまりにも主観的すぎるし傲慢でもあると思うので、「私は美味しいと感じない」ぐらいにしておきます。

 弘前市には「大阪屋」さんという有名な老舗の和菓子屋さんがあるのですが、暮れにその大阪屋さんの「桃山」を七個、知人から頂戴したのです。

 「あー、桃山かあ、どうしよう。とりあえず一個は食べて、後は冷凍かな」

 そんな事を考えつつ先ずは一個、頂きました。

 一口食べて、「え?」、もう一口食べて、「何コレ、美味しい!」

 そう、大阪屋さんの桃山はそれまで私の心にあった桃山のイメージを完全に覆す、とんでもない美味しさだったのです。それからは毎日一個ずつ食べ続け、七個の桃山はあっという間に私の血肉となったのでした。

 「桃山」さん、ご免なさい。私が間違っていました。あなたの実力を知らなかったのです。当たり前の話ですが、世の中には美味しい桃山もあれば、失礼ながら美味しく無い桃山もあるわけで、それなのに「桃山という和菓子は」と、十把一絡げで論じていた私の浅はかなこと。恥ずかしいです。声を大にして訂正したいと思います。美味しい桃山は美味しい!と。

 ちなみに、桃山と聞けば「あずき桃山」とダジャレが浮かぶかと思いますが、桃山は小豆あんではなく、白あんなのです。

 

 さて、お正月と言えばお餅ですが、皆さんはどうのようにして召し上がりましたでしょうか。私は例年通り、スーパーで買った個包装のカット餅をお雑煮で頂きました。今年のカット餅は例年より少し奮発して、「魚沼産こがね餅」と書かれたものを購入しました。お雑煮を食べた家族の感想は「大して変わらない」というもので、私も特に違いは感じませんでした。お餅なんて、そうそう違いのある物じゃないでしょう、そう結論づけました。

 ところが数日前、別な知人からお餅を頂戴したのです。何でも、「他県でお餅屋さんをしている友人から送られて来たのだが、食べきれないので」という事でした。

 早速、きな粉餅にして頂いたところ、「何これ~!昔話のお餅や~!」という美味しさだったのです。ほら、昔話の登場人物って、お餅が最高のご馳走とばかりに、実に美味しそうに長~く伸びたお餅を頬張るじゃ無いですか。ああいう感じなんですよ。

 「味」じゃないんですよね。香りでもなく、食感というのでもなく、とにかく全体として「美味しい」としか言いようが無い。

 本当に、桃山と言いお餅と言い、美味しいもの、美味しさというものには切りが無いと思わされたのでした。

 

 どうしよう。

 美味しいものに出会えた事は嬉しいのです。嬉しいのですが、いわゆる口が肥えた人になってしまう不幸って、あると思うんですよ。例えば、今まで好きじゃ無かったタイプの桃山はやっぱり好きにはなれず、「大阪屋の桃山ならなあ」と無い物ねだりをしたり。あるいは、今まで何の不満も無く食べていたスーパーのカット餅に、物足りなさを感じるようになったり。

 知らなければ不足を感じることも無かったのに、知ったが故の不幸。果たして、その不幸は知った時の幸福と釣り合うのか。新年早々、ちょっと課題を抱えてしまいました。

 でも、ただ一つ分かっていることがあります。

 それは、もし又知人から「お餅いりますか?」と尋ねられたならば、私は満面の笑顔で「モチ」と答えるだろうということ。間違いありませんね。では。