おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ヨガで「良くなる良くなる、ありがとさん」

今週のお題「感謝したいこと」

 

 午前中、ヨガ教室で体を動かしてきました。1時間30分のヨガ教室なのですが、結構汗かきます。毎回、だいたい同じ流れで体を動かし、終わりが近づくと必ずやるのが「毛管運動」です。やり方は簡単で、仰向けに寝た状態で両手足を垂直にあげ、小刻みに揺らすのです。「ゴキブリ体操」という呼び名もあるようです。「瀕死のゴキブリ」と言っているのも聞いたことがあります。

 出来れば1分は揺らし続けて欲しいと言うことで、私の通う教室では、1分間の呪文のような言葉を唱えながら行います。

 

 体が良くなる体が良くなる 良くなる良くなる ありがとさん

 心が良くなる心が良くなる 良くなる良くなる  ありがとさん

 頭が良くなる頭が良くなる 良くなる良くなる  ありがとさん

 

 これがワンセットで、2セット繰り返すと1分間の「毛管運動」が出来たことになります。最後の「ありがとさん」の後も、すぐに両手足を下ろさず、「足」「手」に意識を持っていくと、ジンジンとした血液が流れている感じがあって、気持ちよさと同時に「効いてる効いてる」感もあります。

 先生は、「毎日何回でも、せめて就寝前には行うように」と教えて下さるのですが、たったこれだけの運動も、効き目があると分かっていてさえ、なかなか継続できないでいる始末です。

 

 「良くなる良くなる・・・」と自分に暗示をかけるつもりで唱えながら、いつも考えてしまうのは、「なぜ、体・心・頭の順なのか」ということです。大事な順に唱えているのだろうと思うのですが、問題は、なぜ体・心・頭の順に大事なのかと言うことです。

 最近はこんな風に考えています。

 例えば、無人島でたった一人で生きていくとします。強靱な肉体ほど心強いものはないでしょう。何をするにも自分の身一つが頼りなのですから。

 ある日。一人の漂流者が流れ着きます。二人の人間が諍うことなく打ち解けて(つまり楽しく)暮らすには、思いやりや気遣いといった暖かな心が必要です。

 そしてまたある日、大勢の漂流者がやって来て島は村になりました。争いのない秩序や公正さのある村をつくるには知恵が必要です。また、中には皆を出し抜いて優位に立ちたいと考える者もいて、あれこれ頭を使うことでしょう。

 

 頭が良ければ色々なもの生み出すことが出来ますが、心が良くなければ、間違った方向に行くことがあります。いい頭を、いい心が示す方向に使うことが大事です。いい頭・いい心で歩むべき道が見えるのです。でも、肝心の体が悪くては歩くことは出来ません。

 いい体というしっかりした土台があって、いい心という家がたち、その中でいい頭という調度が整えられていく、そんなイメージを持っています。 

 

 私は両親、特に父とは大変折り合いが悪く、いい歳になってもなかなか親に対して感謝の心を持てずにいました。でも50歳を過ぎて、少しずつですが、亡き両親にたいして「有り難いな」という思いが湧いてきています。

 その第一はなんと言っても、丈夫な体に産んで貰ったことです。年をとればとるほど、体が丈夫だということは有り難いことです。

 効果があると分かっていても「毛管運動」に真剣に取り組まないのは、逆に言うと、悪いところがないからかもしれません。どこか痛いところや不自由なところがあれば、藁にも縋るような思いで取り組むと思うのです。

 体に良いと分かっていても、面倒くささの方が勝ってしまうというのが私の現状です。それは、心が悪いからなのでしょうか、それとも頭が悪いからなのでしょうか。きっと、頭だと思います。自分で言うのも何ですが、私は心はまっすぐ、「いい心」の持ち主だからです。

 とりあえず、私は「いい体」「いい心」には恵まれたものの、残念ながら頭が悪いようなのです。

 父よ母よ、なんで頭ももっと良く産んでくれなかったの?ついでに顔も!

 あらっ、「有り難い」の舌の根も乾かぬうちに、もう親に対して文句が出てしまいました。オヤオヤって所ですね。しかも欲も深い。

 どうも私は、頭だけではなく心も悪い様です。えっ、知ってた?それはどうもありがとさん。では。