おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ボディブローのように効く、とは

 新型コロナウイルス関連のニュースに触れると暗澹たる気分になるのです。

 3月の、弘前公園の桜祭りが中止になったという報道も、「やっぱりね。しょうが無い」と納得はしつつも、弘前市民皆が力が抜けたような、沈痛なムードに陥った気がします。友人の、「あの桜が誰にも見られること無く咲いて、散っていくんだよ」というメールがズシンと来ました。

 それから数日後、夕方のローカルニュースを視ていたら、県内の桜の名所の開花予想ということで、「青森市・・・、八戸市・・・」と読み上げられ、弘前公園はありませんでした。

 「ああ、開花予想さえ出されないのだ」。ズッシリきました。

 桜祭り中止のニュースを聞いたときよりも、開花予想さえ出されないという現実が、ゆっくりと精神的にダメージを広げていった感じがしました。そして、その時浮かんだのが「ボディブローのように効いてゆく」というフレーズでした。

 

 ということで、この記事を書くに当たり、良く見聞きはするものの本当のことはよく分からないこの言い回しについて、ネットで調べてみました。

 簡単に言いますと、打撃を受ける系の格闘技においては、選手は当然腹筋は鍛えているわけで、そこに受ける攻撃はある程度耐えられると。それに対して、鍛えようのない顔面への攻撃は一発食らえば終わってしまう。そこで、ボディブローであれば体力を消耗しつつも耐えられると言う意味で、「ゆっくりとダメージが広がる」事を「ボディブローのように効く」ということのようです。

 では、私の腹筋はどうでしょうか。

 私のおなか付近をいくら眺めたり触ったりしても、腹筋なんて欠片もありません。こんな私がボディブローを食らったら、ジワジワどころか、下手したら死にますね。

 「心」も同じかもしれません。どの程度のダメージに耐えられるか、それは生まれ持った素質に加え、鍛え方によって違ってくるのものなのでしょう。

 では、「心を鍛える」とは?

 様々な方法があるのでしょうが、逆に、これという決め手にも欠けるのが「心」というものの領分です。ただ、昔から多くの人が勧めるように、「読書」がその一つということは言えるような気がします。外出自粛が求められる昨今、ちょうどいいチャンスと捉え、再び本を手にしようかと思う老眼の私です。年のせいか集中力にも欠け、若い頃のようにはページが進まず、おまけに内容もなかなか頭に残らないのですが、そこはボディブローのように、ジワジワとジワジワと染みこませていきたいと思います。

 最後に、もし私の「ボディブロー」の解釈・使い方が間違っていましたら、そこはけんとう違いと笑ってお許しを。では。