おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

桑の実

 りんご農家にお手伝いに行っているのですが、先日実すぐりを手伝ったのは、岩木山の麓の「山の畑」と呼ばれる所でした。

 りんご畑の回りにはいろいろな雑木が生えていて、何気なく見上げた木に、可愛らしい実が生っていました。

 

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 「これは桑の実?」

 そう思ったのは、子供の頃に一度だけ桑の実を見た記憶があったからです。

 そもそも、私の生まれ故郷は青森県下北半島という寒冷な地で、蚕を飼うという習慣はありませんでした。勿論、蚕など見たことも無く、地図記号で「桑畑」というものが出てきたときは、「何だろう?桑畑って地図記号になるほど大事なものなの?」と不思議に思ったものです。

 「これは桑の実で、食べられる」

 誰が教えてくれたのかは覚えていませんが、山の中で、赤紫色に熟した実を食べた記憶がボンヤリとあるのです。

 そして、食べた記憶はボンヤリなのにハッキリと覚えていることがあるのです。

 「童謡の赤とんぼに、や~ま~の畑の桑の実を~、小カゴ~に摘んだ~は~、ってあるけど、こんな小さな実を摘むのは大変だったろうな。昔の人は良くやったものだ」

 そう思った事です。

 

 りんご農家の知人は関西からこちらに嫁いで来られた方です。「桑の実」に確信の持てなかった私は聞いてみました。

 私  「これは桑の実でしょうか?」

 知人 「違う、違う。桑の実はもっとずっと大きいよ。親指ぐらいもあるんだよ」

 私  「えっ、桑の実は小さいでしょ」

 知人 「ああ、山のものはそうなのかも知れない。私が知ってるのは育ててる桑だから。うちの隣がお蚕さんやってたからね」

 

 長年の謎が解けた瞬間でした。桑の実って、カゴに摘み取るのに十分な大きさだったのね。ちょっと食べてみたいと思いました。ネットにも美味しいと書いてありましたが、傷みやすいために、生食は産地で無ければ無理なようです。残念です。

 それと。

 この記事を書きながらもう一つ思い出した事があります。

 高校の生物で習ったのですが、受精卵が卵割を始めると、その課程で「桑実胚」と呼ばれる状態がありますね。見た目が桑の実に似ていると言うことからそう呼ばれるのでしょう。それ程「桑の実」は、日本人の生活の中で、ポピュラーな存在だったのでしょうね。残念ながら、桑畑の無い地方で生まれた育った私のくわしく知るところではないのですが・・・。

 日本と一口に言ってもやっぱり広くて、それぞれの地方にそれぞれの当たり前があります。中には、「信じられない!」と思うような風物・習慣があったりもします。でも、自分の常識に固執すること無く、柔軟な態度でいろいろな場面に臨みたいものだと思うのです。「くわず嫌い」はしないように。では。