何日か前のことだが、テレビでガンジス川の様子を見た。
ガンジス川は汚いことで有名で、それなのに「聖なるガンジス」ということでインド人は果敢に沐浴する、ということでも有名だ。実際その映像でも沐浴中の人はいたし、コロナを祓うために家の周りに撒くのだと、ポリタンクに汲んでいく人もいた。
その時のガンジス川の様子はどうだったかというと、汚かった。ナレーションも、
「川の水はクロムによって黒く濁っている」と伝えていた。
そうなんすよ、川の水が汚いと言って日本人が想像するレベルを遙かに超えて、ガンジス川は黒く濁って、滔々と流れていくのだった。
クロム・・・。
その川を汚染するクロムに毒性があるのかどうかはわからない。ただ、クロムと言ってもいろいろな化合物があり、中には人体に甚大な影響をもたらすものもあるということは知っている。それは私の中に「鼻中隔穿孔(びちゅうかくせんこう)」という言葉が深く打ち込まれているからだ。
今から40年以上も昔だと思うが、「六価クロムにより鼻中隔に腫瘍が出来、穴があく」というニュースが、なぜか鮮明に印象に残っている。その時代はいわゆる公害病が世間の大きな関心事で、小学生だった私も、小学生なりにいろいろな読み物で知識を得ていた。
水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、有名なものだけでも公害病の症状の特異さ激烈さは際立っている。そこへ新たに加わった、六価クロムによる鼻中隔穿孔という単語の恐ろしさ。鼻の中に穴があくなんて・・・。幼心に強烈な印象を持ったのだろう。
その後長い間、記憶の奥にしまい込まれていた、その鼻中隔穿孔という症状名。それがガンジス川のクロムというニュースでパッとよみがえった。折しも、その時分の私はたびたびの鼻血に悩まされていた。
駄目と言われても、やっぱり鼻血にはティッシュ - おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)
この記事に書いたとおり、私は鼻血が出た際にはティッシュペーパーで「鼻つっぺ」をつくり、鼻の穴に押し込んでいる。鼻中隔が無いと困る。巨大な「つっぺ」が必要になってしまう。などというのは悪い冗談で、穿孔といっても完全に鼻中隔が無くなってしまうわけではないだろうが。
それにしても、こんな悪い冗談を言いつつも改めて思うのは、「故障しやすい器官は二つある」という、人体の凄さよ!二つ有るものは二つ有るに越したことはないけれど、万が一、一つが駄目になってももう一つある!というのは心強い。鼻の穴も二つ有るから片方が詰まっても、あるいは鼻血で詰め物をしても、片鼻プラス口で呼吸は大丈夫。ホントに良くできている。
話をガンジス川へ戻す。
聖なる川として崇められつつ、あらゆる汚れも流し込まれるという、二つの面を持つガンジス川。
「清濁併せ呑む」とは、広辞苑によると「善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。度量の大きいことにいう」とある。かつて日本でも、海や川やあるいは地面は「全てを無かったことにしてくれる」とばかりに「公害」を垂れ流していた。そして、自然は無限ではないということを「高い代償」を払って学習した。
滔々と流れるガンジス川と書いたが、そのガンジスが音を上げる日がとうとう来たのではないか、真っ黒の水を画面に見ながらそう思った。では。