おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

柳は揺れて、思い出も揺れて

 最近お気に入りのウオーキングコースに位置する「総合学習センター」の隣には、良く整備された公園が広がっています。

 人間の目って不思議なもので、毎日見ていても目に入らないものがあり、そうかと思うと、何かの拍子に、「こんなものがあったのか」と、忽然と目にとまったりするものです。

 昨日、ウオーキングをしていた折、公園に枝垂れ柳が植えられていることに気づきました。枝垂れ柳って独特な形状の木なのに、その瞬間まで全く気づきませんでした。でも、気づいた瞬間に何だか懐かしさでいっぱいになって、しばらくボーッと眺めておりました。

 柳には思い出が二つあります。

 

 私の実家は道路からちょっと入った場所にあり、「隣家」というものがないと言ってもいいような、ポツンと、と言うほどでは無いけれど、一軒家に近いような立地でした。その、私の家への入り口には、かつて、それはそれは立派な枝垂れ柳が立っていました。小さい頃からその姿に親しんでいた目にも、惚れ惚れするような見事な木でした。

 ところが、小学校何年生の時だったでしょうか。同級生達と遊び、暗くなった頃、「じゃあね、バイバイ」と帰ろうとする私に、皆が、大丈夫?一人で帰れる?恐くない?と聞くのです。

 「えっ、恐いって、何が?」

 「だって、あなたの家はあの柳の前を通るでしょ?あそこ、出るでしょ?」

 その時まで私は知らなかったのですが、村の子ども達の間では、あの柳の木は幽霊の名所と言うことになっていたのでした。かなり年上の女の子達も、本気で怖がっていて、暗くなったら、あそこは一人では通れないという場所だったらしいのです。

 でも、私は全然平気でした。みんなの噂話を聞く前と変わらず、柳の木を好ましくこそ思え、恐いと思うことはありませんでした。なぜなら、私の家には、

 「そんなくだらない話を怖がってどうする!」と、噂話を伝える娘を一喝する、恐い恐い母がいたからです。

 ドラマなどで、訳知り顔の大人が「死んだ人間より、生きている人間の方がずっと恐ろしいよ」などという台詞がありますが、確かに、幼い頃の私にとって一番恐いものは「母」でした。

 

 枝垂れ柳に幽霊を連想するのは、私の回りに限らず一般的なことで、一つには柳は水辺に植えられていることが多く、水は幽霊と親和性が高いということがあるようです。もう一つには、枝垂れ柳の枝が暗がりでゆらゆらと揺れる様が、人の目に不気味なものを見させる、つまり、幽霊と見間違わせるということらしいです。

 母も昔の人なので、幽霊や霊魂なども、信じないというワケではありませんでした。ただ、母はいわゆる気丈な人だったので、幽霊を怖がるなら出てから怖がれ、出る前から怖がってどうする、といった考えがあったように思います。今となっては知る術も無く、ただ柳の枝のようにゆらゆらと想像を巡らすだけです。

 

 立派な枝垂れ柳の思い出をちょっと書くつもりが、筆がだれて長くなりました。二つ目は明日に回したいと思います。

 最後にダジャレクイズです。

 問  スイスにも幽霊は出ますかいな?

 

 答  ヨーデル

    ※歌が得意な方は、ユーレイヒーと高らかにどうぞ。では。