「ガラスの天井」って、聞いたことあります?
主に、組織において女性やマイノリティの昇進を妨げる、「見えない」けれど「打ち破れない」障壁を表す言葉です。初めて聞いたという方でも、確かにそういう障壁は存在するだろうと納得されると思います。見えないけれど、見えているワケです。
もう一つ。
「ガラスの床」という言葉もあるんですが、こちらはあまりメジャーでは無いようです。私は、2,3年前、ネットのニュースで目にして、そのニュースがちょっと衝撃だったので記憶に残りました。ソースを探したのですが見つけられませんでしたので、簡単に概要をまとめてみます。
イタリアの研究者によると、現在のフィレンツェで最富裕層に属する家は、600年前も最富裕層だったのだそうです。そして、最富裕層のみならず、他の階層でも階層移動は驚くほど少ないのですが、中でもトップ層の移動はより少ないのだそう。
このことから、研究者は富裕層が転落することを防ぐ「ガラスの床」が存在するとしたのだそうです。
つまり、「貧困の連鎖」ということが声高に言われる昨今ですが、「裕福」も連鎖するということなわけですね。イタリアに限ったことではないでしょう。言われて見ればその通りだろうと思うわけです。でも、「ガラスの天井」との違いは、庶民にはその正体がよく見えないと言うところです。見えない方がいいでしょうね、「ガラスの床」の上に立っている人にとっては・・・。
東京大学の入学式における上野千鶴子氏の祝辞が大変話題になっていて、そのニュースを読んでいるうちに、この「ガラスの床」を思い出したんですね。
「ガラスの床」は、厚みこそ違え富裕層だけのものではないのかもしれません。
「努力は報われると信じる」ことは即ち、「ダメなヤツは努力不足」と断定すること。「自己責任」ということがよく言われますが、そういう己が足はガラスの床に立ってはいまいか、注意する必要があるのかもしれません。
所詮、庶民がのっかっているガラスなんて、いつ割れてもおかしくない代物なのですから。ひび、気をつけたいものです。ガラスだけにね。では。