おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

私はなぜ『コロンボ』と『ポアロ』が好きなのか

 ミステリー映画やドラマの楽しみの第一は、事件の犯人が誰かを、あるいはそのトリックを、劇中の人物達と一緒に考えるというところにあるでしょう。

 その点で『刑事コロンボ』はユニークです。視聴者は最初から犯人もトリックも分かっているのですから。でも面白いんですよねえ、昭和生まれには。平成生まれにはきっと受けないと思います。展開がスローテンポだし、殺され方も銃殺・刺殺・絞殺・撲殺などのほとんど即死に近い方法なので、あまり刺激的ではないし。『名探偵ポアロ』も、謎解きの面白さを除けば、まあ、そんな感じです。でも、そういうところもいいんですよね、私には。

 若い人の好む、サイコな犯人が殺人のための殺人を、凝りに凝ったむごたらしい方法で行うというのは、おばちゃんは正視に耐えないのです。更に、情けなくも悲しいのは、早口のセリフは良く聞き取れないし、複雑なストーリーにはついて行けないというところです。加えてこの頃は、外国人の顔と名前は覚えられなくなってきました。

 ところが良くしたもので、若い人のようなドキドキ・ハラハラについて行けない代わりに、年配者は違った角度から映画・ドラマを楽しめたりもするのです。まあ、それはひょっとしたら個人差であって、必ずしも年齢によるものではないのかもしれませんが。

 『コロンボ』と『ポアロ』に共通するのは、犯人が毎回、いわゆる上流階級=お金持ちだというところです。そのため、犯行現場や犯人の住居が大変な豪邸であることが多く、目の保養になってワクワクします。コロンボはロス警察なので、登場するお屋敷はデザイナーがお金に糸目をつけず、センスの限りを尽くしたと言ったインテリアで、アメリカという国の豊かさを見せつけられる思いがします。70年代にこの暮らしかーと、彼我の住環境の違いに改めて茫然とする感じなのです。

 ポアロはベルーギー人ですが、活躍の場はイギリス。貴族や富豪のお屋敷が舞台となります。さすがは大英帝国!と感嘆するような、広大な庭園と重厚なお屋敷。その中の沢山の部屋を飾るのは、やっぱり重厚な家具や調度品、そして絵画。

 アメリカの現代的な豪邸もイギリスの歴史を感じさせる屋敷も、どちらも素敵でドラマのストーリーそっちのけで、背景に見入ってしまいます。

 そしてもう一つ、ファッションも見所です。『ポアロ』では時を越えてエレガントな「レディ」の装いが目を楽しませてくれます。逆に『コロンボ』は、今となってはちょっと笑えるような「流行」を懐かしく眺めることができたり。

 いずれにしろ、ストーリーや犯人捜し以外のお楽しみもたっぷりあるのが、これらのドラマの魅力なのです。特に「懐かしい」というお楽しみが味わえるのは、これは若い人にはない年寄りの特権ですね。

 

 ところで、この二つのドラマでは、「犯人が毎回、いわゆる上流階級=お金持ちだ」と書きましたが、これには必然性があると思うのです。それは、殺人が衝動的ではなく、計画的に巧妙に行われるという事と関係があるでしょう。

 衝動的に行われた殺人では、犯人は容易に捕まってしまいます。それではコロンボポアロの出番はありません。非常に頭の良い人間が、練りに練った方法で計画的に行う殺人。そこにこそ彼らの腕(灰色の脳細胞?)の見せ所があるわけです。

 衝動的な殺人は、恨みや怒りや「はずみ」などがその動機となりがちでしょうが、計画殺人の場合、その動機のほとんどは「金」です。しかも、頭の良い=高い教育を受けた人間が、危険を冒してまで犯罪に手を染めるのですから、勢い、事件は「お金持ち」の家でおこるという事になるでしょう。豪壮な屋敷でのお金持ちの生活は、外から眺める分にはウットリですが、それはそれで、庶民にはうかがい知れない苦労や諍いという物もあるのかも知れません。さすがに殺人事件まで起きるようなことは滅多に無い事でしょうが。

 

 刑事コロンボや名探偵ポアロのドラマには、背伸びした生活に憧れて犯人をゆすり、絞殺されてしまう「庶民」もよく登場します。

 高望みをせず、刑事や名探偵の活躍をお茶の間で楽しみながら、のぞき見趣味をちょっと満足させるぐらいが、私の身の丈に合っているのでしょう。ドラマをみながら、そんな風にコウサツしたのでした。では。