1月の末に東京に行ってきまして、上野など観光したことは、3回に分けてブログに書きました。
東京へは新幹線で往復したのですが、車中で手に取った「読み物」に、往きも帰りも印象深い一節があったので、紹介したいと思います。
往きの新幹線で手にしたのはJR東日本の車内サービス誌「トランヴェール」。連載されている沢木耕太郎氏の旅のエッセイに、興味深い記述がありました。松尾芭蕉の俳句の背景についてです。
塚も動け我が泣く声は秋の風 芭蕉
塚(墓石)も揺るがすほどに、私は号泣する。秋風の中。(私の意訳です)
この句は、芭蕉の中では珍しく激しい感情をストレートに詠んだ句と言われています。よほど親しい、身近な人を失って詠んだ句だろうと思っていました。
亡くなった方は金沢在住の小杉一笑という弟子です。芭蕉は「奥の細道」の旅で、この弟子に会うことをとても楽しみにしていました。ところが、芭蕉が金沢に到着したとき、一笑は36歳という若さで既に亡くなっていました。芭蕉と弟子・一笑は、実は一度も会うこと無く、別れの時を迎えたのです。
二人の交際は書簡のやり取りのみだったわけです。ですが、江戸時代という交通・通信手段が現代に比べて格段に不便だった時代だからこそ、時折もたらされる師匠からの、弟子からの手紙は、どれ程大きな喜びだったことでしょう。繰り返し繰り返し読んだでしょうね。
師匠と弟子という立場の違いはあれ、俳諧という道を志す同志として、深い絆と敬愛が二人の間にはあったことでしょう。初めて会える日を、どれ程楽しみにしていたことか。一笑が亡くなったことを知らされたときの芭蕉の心中は、察するに余りあります。
塚も動け、の句は、芭蕉を迎えて行われた、一笑の追善供養で詠まれた句なのだそうです。
帰りの車中では、持参した武田百合子の旅行記、『犬が星見た』を読もうと思ったのですが、ほとんどの時間を眠ってしまい、少ししか読めませんでした。その少しの中に、「旅の興奮」というものを見事に表現している箇所があって、我が意を得たり、と気に入りました。
ーーーくたびれきっているのに、まだ騒ぎたりないようなーーー変な夜。
そうそう、一日見知らぬ街を歩き回って、ホテルのベッドに倒れ込むように横になって、でもなんだかまだ遊びたいような、そんな旅の夜。
でも、旅行って、2泊がいいところですよね。3泊になると、ちょっと長いというか、家に帰りたいなあっていう気持ちが、ちょって出て来ません?これも年のせいですかね。
それにしても、乗り物って、なんであんなに眠くなるんでしょう。せっかく本を持って行っても、無駄になることが多いのです。睡魔に負けて、すいません、ってところです。では。
↓ 東京は冬枯れの並木も美しかったです(汐留から築地へ向かう途中)