おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

二日から七日まで、全部季語

 昨日、拙ブログに仕事始めについての記事を書こうと思い、ネタ探しに歳時記を開いたところ、「仕事始」と「御用始・事務始」は別々の季語だと言うことを知りました。

 「御用始・事務始」は、官庁や銀行・会社などのいわゆる勤め人の、四日もしくは五日から始まる仕事に言うとあり、それに対して、「仕事始」は本来、様々な職人が正月初めて仕事のし始めの式をする行事に言ったのだそうです。

 更に。

 正月一日が「元日」として季語であるのは当然ですが、「正月」を略した二日から七日までも、全て新年の季語と定めたとありました。

 

 季語「四日」に、印象的な例句があったので紹介し、感想を添えたいと思います。

 

 妻独り海観(み)に行きし四日かな  本宮銑太郎 

 

 暮れから三が日までの大忙しの「主婦」の仕事が昨日で終わり、今日四日、「出かけて来ます」と外出した奥さんを詠んだ句ですね。

 私はこの句から、沸々と湧き出る怒りのオーラを感じました、勿論、奥さんの。奥さんは「長男の嫁」なのかな。年末年始、飲んで食べての男連中を横目に、座るまもなく働いたことでしょう。きっと口数も笑顔も、段々少なくなっていったことでしょう。

 「明日四日は、私、出かけて来ますから」

 「ああ。どこへ行くの?」

 「・・・、海でも観てきます」

 作者は奥さんが怒っているのは分かっています。そして、触らぬ神に祟りなしを決め込みました。いつもの手ですね。そして、俳句をものしたわけです。

 句には「奥さんが怒っているのは分かっている」のが如実に表れているように感じられるのですが、皆さんは如何でしょうか。

 作者はまさか自分の句から、「妻の怒りに気付かぬ振りをする、ずるい夫のやり口」を読まれるとは、想像もしないことでしょう。そう考えると、どこかおかしみもあるような気がしてきます。たった十七音で膨大な情報を伝えてくるところに俳句の面白さがありますね。

 また、俳句そのものからは大きく飛躍する想像なのですが、この句の奥さんにはお正月と言えども帰る実家が無い、あるいは遠方でおいそれとは帰れないのだろうと思います。実家に帰って愚痴をこぼすことも出来ず、独り海を眺めて自分で自分の気持ちをなだめるのだと想像します。

 家を出るときには「怒り」だった感情が「悲しみ」に変わって、玄関を開ける声はいつもの静かな「ただいま」に戻り、ずるい夫のいつも通りの「おかえり」の声に迎えられるのでしょう。かつてのヒット曲『ズルい女』なら、バイバイ有り難う~サ~ヨウナラ~ですが、現実はそうもいかないし。

 「を観に行く」のも「穏やかな一年のスタート」をきるための、生活の知恵なのでしょうね。こういう知恵を生み出すまでには、長い年月、それこそウミの苦しみもあったことでしょうね・・・。

 皆様、お正月、お疲れ様でした。では。