おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

2021年1月4日、月曜日

 3日。帰省した夫と息子その1がそれぞれの場所に戻り、家は息子その2と私の二人となった。二人でテーブルに並んで座り、テレビに向かい合って夕食を食べた。

 息子その2はビールを飲みながら、録画の「笑ってはいけない」という趣旨の番組を、笑いながらみている。私も一緒にみてはいるが、息子ほど入り込めない。「菅野美穂、凄いねえ」と感想を言ったりするが、息子のように大笑いにはならない。年齢(とし)、なのだろう。

 テレビは賑やかだ。息子の笑い声もある。でも、なんだか家がシンとしている。人が二人いなくなると、こうも違うものか。

 

 今年は暦が悪く、4日が月曜日だ。「お正月気分も抜けないまま仕事モードに入るのは大変だなあ」なんて、無職の私は暢気に他人事だ。でも、そのお正月気分も、今年はどうなのだろう。

 新型コロナウイルスでスティホームを余儀なくされ、遊びにもでられず、人と会うことも制限されたお正月。私や夫はもともと出不精で、家に籠もるお正月はある意味例年通りなのだが、若い人達は可哀想だった。まあ、それでも酒飲みにとっては、ちょっといいお酒がガンガン飲めれば、それで立派なお正月なのだろう。四日、二日酔いでの出勤となってはいないだろうか。

 

 「御用始」「事務始」は、俳句では新年の季語だ。手持ちの歳時記で、次の句に懐かしい気持ちになった。

 

 司書若し和服に慣れず事務始   加倉井秋を

 

 若いOLさん達が振り袖で出勤する!そしてその日は和やかに挨拶を交わして、ハイおしまい。ああ、昭和の光景だ。もっとも、田舎住まいだった私にとってはそれは実体験ではなく、テレビの中の光景に過ぎない。それでもなんだか、「あった、あった」と過去を懐かしむ心持ちになった。

 

 去年という一年は新型コロナウイルスで激動・激変の世の中だったが、それが無くても、私がこれまで生きた過去60年の時代の変化は大きいなあと改めて思う。「時代を生きる」かつての若者も、いつの間にか時代に遅れた年寄りになった。そして、大きな変化は時代ばかりでは無く、己の姿形にも現れている。いつの間にこうなった。

 

 「私や夫はもともと出不精で」と書いたが、体型までデブ性とは。一月四日。事務始の次はダイエット始が必要かもしれない。では。