今日は平成最後の日、ということでテレビは朝から特番で大忙しといった様相です。

 ここで心静かに4月30日という日を考えますと、私は平成9年のその日に思いが至るのです。

 

 今日の弘前は小雨模様の肌寒い一日となりました。

 22年前の平成9年4月30日は、それはそれはいいお天気で、絶好のお花見日和でした。あまりの陽気に誘われて、私と夫は衝動的に「お花見に行こう!」となりました。今でもはっきり目に浮かぶ本当に素晴らしい桜と青空で、私は思いっきり公園の散策を楽しみました。9ヶ月のお腹で。そうなのです。私は6月初旬に出産が予定される妊婦で、まん丸いお腹の中には息子その2が入っていたのです。しかも、病院からは注意を受けていました。

 「ちょっと早産の危険があるので、大事にして。お腹の張り止めの薬も出しておきますから、お腹が張るようなときは薬を飲んで安静にして下さい」と。

 ああそれなのに。

 平成6年の息子その1の時が、初産にもかかわらずあまりにも安産で、私は自分を過信していたのです。そしてあの素晴らしい、弘前中の人をお城へと誘い出さずにはおかないような晴天・・・。

 その夜のことです。布団の中で違和感に目覚めた私は、これはマズいと感じていました。お腹が痛い。でも腹痛というのではない・・・。慌てて病院からもらっていた薬を飲んで、布団の中で安静に安静に・・・。空が明るくなる頃、これはもうだめだと観念しました。「お産セット」を持って病院へ。

 5月1日。メーデー。2386gのちょっと小さい男の子が生まれました。津軽保健生活協同組合「健生病院」という病院でした。

 「今日はメーデーで、他の病院は平日なんだけど、ウチは休日料金なの。ゴメンナサイね」

 看護師さんに言われた言葉です。なんでこんなことを鮮明に覚えているんでしょうね。

 予定日より一ヶ月以上も早く生まれたちっちゃい赤ちゃんは、新生児黄疸で保育器に入りました。目隠しをされて保育器の中にいる姿を見たときは、申し訳なさでいっぱいでした。私が不注意なばっかりに・・・。浮かれてお花見なんかに行って・・・。本当にゴメンナサイ。

 でも、悲しいことに、その時は本当に心から反省するのですが、三つ子の魂百までと言いますか、結局その後の子育ても不注意とうっかりの連続でした

 

 小学校一年生で、自分が生まれた時のことを調べて発表するという授業があった時のことです。家に帰って来るなり、息子その2が言いました。

  「お母さん、僕ね、クラスで一番ちっちゃい赤ちゃんだったんだよ」

そうだね。本当にちっちゃかったね。バスタオルにくるんで抱っこすると、バスタオルの重みしか無いようだった。それがこんなに大きくなって、前から3番目だもんね。今は人並みに育った息子その2です。

 

 子育てを振り返って見ますと、不注意でうっかりな私のもとでも、息子二人がどうにか無事に育ったのは、「運が良かった」ということにつきるような気がします。 

 「平成に感謝」というフレーズをテレビで見聞きすると、私は微妙な違和感を感じていました。でも、こうして書いてみますと、やはり過去に対して持つ感慨は、「感謝」ということに収束されるのかもしれないと思いました。

 

 令和元年スタートとなる明日。

 22年前の明日5月1日は、我が家にとって、早産ではありましたが、元気な息子が誕生した、めーでーたい日となったのでした。(休日料金ではありましたが)。では。