おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

幸せそうな三人の女達

 昨日は『れんが倉庫美術館』隣のレストランで朝食をとりました。その後は、芝生の広場を挟んで美術館と向かい合うベンチにしばらく腰掛けていたのです。

 美術館前を行き過ぎる人々を眺めるとも無く眺めていると、三人連れの女性の姿にふっと心惹かれるものがありました。きっと、羨ましかったのだと思います。

 

 美術館を背に並んで立っている二人の女性は二人とも杖を片手にしており、もう一人の、遠目にも中年女性と分かる方が撮影係です。何の根拠も無いのですが、娘・母・祖母の女三代で美術館を訪れたのだろうと思いました。40代、60代、80代かなあ・・・。

 「ババア幸せだなあ、娘と孫が孝行で」と、毒蝮三太夫のような感想が浮かびました。孫も幸せだよねえ、親孝行、祖母孝行出来て。私にも覚えがあるけれど、お祖母さん孝行する嬉しさと、それがそのまま親孝行になる満足って、充足感あるよねえ。私はとっくに二人とも亡くなってしまったけれど。

 でもこの瞬間、一番嬉しく幸せなのは、なんと言ってもお母さんだよね。そう思いました。娘に美術館に連れてきて貰える幸せ。娘が祖母、つまり自分の母親に優しくし、それを老いた母が嬉しく思う様子を見られる幸せ。

 もしかしたら、実際は娘は鬼の形相で「はやぐ!」と怒鳴ったりしているのかもしれないけれど、隣の芝生ならぬ芝生を挟んだ遠い景色は、実にほのぼのと羨ましい眺めでした。

  

 昨日は朝食を外食にするという初めての試みをしました。窓外の眺めを楽しみながらゆっくりと朝食を頂いて、「旅行の朝食のようだ」と思いました。そして、「コロナ禍で本当の旅行は楽しめないけれど、こうやって『気分は旅行』を楽しめばいい」と考えました。でも、駄目なんですよねえ。やはり地元に居ては、どんなに非日常的な行動をしようと、やっぱり旅行気分にはなれないんです。だからこそ、人は「旅行したい」と思うのでしょう。それとも私が修行不足で、旅の達人ともなれば、どこに身を置こうとも「瞬時にして旅気分」になれたりするのでしょうか。

 

 一方。

 「記憶を旅する」という言い方がありますが、こちらの「旅」は年々上手になっている気がします。ドラえもんと違って、私たちの「時間旅行」は過去にしかいけないので、過去が多いほど、つまり年をとればとるほどその引き出しは多くなるわけです。

 不思議なのは、古い引き出しほどスルスルと容易に引き出せるのに、最近の引き出しはしぶくてなかなか引き出せないばかりか、やっとの思いで引き出すと空っぽだったり。何事も諦めが肝心。空っぽを嘆くより引き出せる引き出しを潔く楽しんだ方が得策かも知れません。

 

 私は昨日、美術館を望むベンチで一人、亡き母や祖母を偲ぶという思いがけない「時間旅行」が出来たわけです。ただ、申し訳ないと思うのは、こんな時でも亡き父は生前同様「仲間はずれ」な事です。いえ、きっと「留守番」をしてくれているのでしょう。そう考えることにします。あの世でも来客というものがあるのかもしれないし。

 お客さんはきっと、「あのよ~」と言ってたずねてくるんでしょうね。では。