おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

既製品セーター、三変化

まず、過去記事のご紹介からです。

 ざっくりと内容をまとめますと、「既製品のセーターをほどいて糸玉にした」という記事です。

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 写真のセーターが毛糸玉に姿を変えたというのが、タイトル「三変化」のうちの一变化目なのです。

 さてさて、この毛糸をどうしましょうか?

 元々のセーターが七分袖だったので、別なセーターに生まれ変わらせるには、毛糸の量が足りないのです。どうしようかな〜。あれこれ思案して(この時間も楽しいの!)、別な毛糸と組み合わせて、形は本を参考に、でも配色は全くのオリジナルデザインのセーターにしようと決めました。

 前身頃だけにこの糸を使い、袖と後ろ身頃には、なぜか手元にあった紺色の毛糸を使いました。このセーターが二変化目ということになりますね。

 

 完成したのが二年前(2022年)で、着用した回数が少なく、一度も洗濯もしていないのですが、なんだか全体にくたびれ感が出てきたんですよね。肘のあたりとか、裾のゴム編みとか。でも、本来の私ならそれぐらいは気にもせず、「まだまだ着るぞ!」となるのですが、このセーターに関してはちょっと違ったんです。

 「前身頃を編んだ毛糸が残っている。ほどいて足せば、ベストが編めるぞ」

 ちょうど目をつけていたレシピがあったので、昨年の暮れからとりかかり、家族が帰ってきた年末年始はちょっとお休み。そして新年早々、一人暮らしに戻るや思う存分編み物の日々を再開。今年最初のブログで「ベストを編んでいる」と書いた、そのベストがこれ。頑張りました。ベストを尽くしましたよ。

 

 

 一週間ほど前に完成したのです。三変化目です。

 肩と両脇に透かし模様が入っているのですが、お分かり頂けますでしょうか。先日の編み物教室に着ていって、先生から講評を頂きました。先生がおっしゃるには、

 「ほどくことが出来ると言うことが、編める人だからこそです。既製品には裁断されていてほどけない物もあるので、まずそこですね。そして、構造が分かるから、どこをどうほどけば良いかが分かるんですね」

 ああ、なるほど~。自分では既製品のセーターをほどくと言っても、そんな大層な事とも思っていなかった(我ながらよくやるわ~とは思っていましたが)のですが、全く編み物などしない人にとっては想定の範囲外の事かもしれませんね。

 そう考えれば、私自身も、編み物が出来る人→セーターをほどくことが出来る人→ほどいた糸で編み直しが出来る人と、三変化したのかも。私、成長してる?新年早々、ちょっと嬉しい出来事でした。では。

消極的一生モノ

今週のお題「一生モノ」

 

 「一生モノ」と聞いてイメージするのは、たいていお高い物のことだ思うんです。時計とかブランドバッグとか。あと、コートとかカシミヤストールとか。「清水の舞台から飛び降りる」ような気持ちで買う、そういった品物ですね。はてなブログ今週のお題についてのページにも、

「せっかく買うなら、一生使えるようないいものを手に入れたいものですよね」

という一文があったのが証拠です。

 で、そういった、最初から「一生モノ」と決意して手に入れた物は、積極的一生モノとでも呼ぶべきモノだと思うのですが、それに対して、そんなつもりはなかったのに、気がつけば一生使うことになりそうなモノ、言うなれば消極的一生モノってあると思うんです。我が家にもあります。

 こちらのお皿なんですが、26年前、家を建てた際に買いました。それまでは夫の実家に同居していて、食器もほとんど持っておらず、とりあえずの間に合せで、ホームセンターで買いました。一枚100円、五枚で500円でした。いつの間にか一枚割れたらしく現存するのは四枚。本当に丈夫なお皿で、食器洗い機に乱暴に突っ込むのに、残った四枚は縁が欠けることもなく、現役で大活躍しています。

 たまたま今年のお正月、息子と

 「この皿って、ずっと昔からあるよね」

という会話を交わして、そうだ、家を建ててからずっと使い続けているんだと、再認識したところでした。

 実を言うと、特に好きで選んだわけではなく、安くて大きさが丁度いいくらいの理由で買い、今現在も特に好きなお皿でもないのです。というか、私は食器にはあまりこだわりがないタイプなので。

 でも、不思議なもので、長い間身近にあるものって、不思議と愛着がわくというか、この先このお皿が割れた時には、がっかり寂しい気持ちになるだろうなと今から思います。それでも、「大事に使おう」なんて殊勝な気持ちにはサラサラなれず、やっぱり食洗機で適当に扱い続けるのですがね。

 今日の記事は、お皿のことを書いているのに、何故か書きながらしきりと夫の顔が頭に浮かぶのです。

 割れ鍋に綴じ蓋夫婦の我ら、仲間割れしないよう気を付けて、一生モノの関係でありたいです。積極的か消極的かはさておき。では。

新装開店に雪

 昨日、今日、弘前市では久しぶりの雪掻きです。新年は雪の降らない日が続いて、昨日が初雪掻きという方がほとんどだったかと思います。

 「お正月にラクが出来ただけでもいいよね」なんて、昨日から言い交わしたり、

 「雪ぐらい我慢しなくちゃ」と、被災地に思いをよせたりしています。

 

 買い物に出掛けたところ、途中で、昨日新装開店したばかりのラーメン屋さんを見ました。

 あら〜、せっかくの開店祝いのお花に雪が積もってる!

 雪国に暮らしていると色々な雪景色を目にしますが、これはちょっと珍しいかも。真冬に新装開店するということ自体があまりないのかもしれません。冬はとじこもりがちな青森県民ですが、ラーメン大好き県民でもあります。雪の中でもゆきますよ、そんな感じでお客様がいっぱいだといいですね。商売繁盛、お祈り申し上げます。

 で、そういう私自身ですが、ラーメンは好きかと聞かれますとですね、答は難しいんですよ。美味しいとは思うんです。でも、年のせいでしょうね、食べた後が苦しいの。胃が重いといいますか。

 雪の降る寒い中を出掛けて食べるラーメン。美味しいです。でも後で後悔、がいつものパターンなのです。

 ゆきは良い良い、帰りは怖い。怖いながらも(暖簾を)通りゃんせ、通りゃんせ。

では。

蜜柑畑と納豆汁

 青森県はリンゴの産地として有名ですが、津軽地方では夏の暑さをいかして、自家用程度であれば様々な果物が採れるのです。桃、梨、サクランボ、プルーン、イチジクなど。でも、流石に冬の果物である蜜柑は無理ですね。収穫の遅いリンゴだって、11月の下旬にはリンゴもぎを終えられるよう農家は頑張ります。雪との競争なのです。雪の中の作業は辛いですからね。

 『江之浦測候所』の周囲は蜜柑畑が残っていて、『江之浦測候所』内を歩き回りながら12月の輝くような蜜柑が見られるのです。

 「いっぱい落ちてる。落ち実は売物にならないんだろな。リンゴと同じで」

 「袋をかけてる蜜柑がある!高級品は袋をかけるんだ、リンゴと同じ!」

 初めての蜜柑畑をみて喜びつつ、リンゴ畑と比べてしまうのは、リンゴ栽培に携わる端くれの端くれだからですね。

 ちなみに、「蜜柑」畑は初めてですが、12月にたわわに実るオレンジは見たことがあるのです。10年ほど前になりますが、スペインのバレンシアで。本物のバレンシアオレンジですね。街路樹としてオレンジが植えられているのですが、品種はマーマレード用の苦いオレンジなのだそうです。盗難防止のためにそのままでは食べられないものを植えているのだそうです。

 『江之浦測候所』にも、「蜜柑は取らないでください」という立札がありました。ちょっと酸っぱい注意書きですね。

 写真は『江之浦測候所』の中に残してある、かつての蜜柑運搬用の設備です。

 「これ、テレビでみたことある!」

 蜜柑畑は急な斜面を利用して(石垣を積んで)いるので、収穫した蜜柑を運ぶのも重労働。そこで、こういう設備を利用したのでしょう。わかるなあ。リンゴも山の斜面のものは美味しいとか言われるけれど、山の畑での作業は大変なんだよねえ。端くれの端くれながら、共感です。

 

 雪と寒さの青森県と違って、冬でも温暖な地方では、12月の陽を受けて蜜柑が鈴なり。つくづくと日本も広いなあと思いますね。

 『江之浦測候所』を歩いていて撮影したのですが、カラスウリです。名前は知っていましたが見るのは始めて。綺麗な赤でした。こんな風に小さなものでも、見たことのない物を見られる、そんなこともやっぱり旅の喜びの一つです。

 

 『江之浦測候所』をあとにして、レトロな雰囲気漂う根府川駅から電車で湯河原へ。昼食を食べることにします。

 

 息子その1がネットで見つけたお豆腐屋さんが経営するお店。写真は納豆汁定食。濃厚な納豆汁は勿論美味しかったのですが、小鉢のお料理がどれもこれも美味しくて、お箸が止まらない。お味にナットクのナット汁なのでした。四人全員大満足。

 ちょっと驚いたのは、息子達も納豆汁とか麦トロとか、なかなか渋い食べ物を喜ぶようになったんだーということです。

 日常から離れて同行者、子供達や夫、そして友人の思いがけない一面を知る、そういったこともまた、旅の面白さに数えられるのかも知れません。続く。

江之浦測候所

 江之浦漁港を見下ろす丘の上。かつては3,000坪の蜜柑畑だったそう。その地に芸術家の杉本博司氏が、自らの感性・美意識を注ぎ込んで作り上げた屋外型美術館が『江之浦測候所』です。

 完全予約、1日2回入れ替え制。見学料3,300円。行くべきです。私達は12月とは思えない穏やかな天気の日に訪れました。本当に気持ちのいい時間でした。でも、雨の日も見てみたい、そう思わせられる場所なのですから。

 

 長さ100mのギャラリー。杉本氏の写真が展示されています。100メートル歩いて到達するのは海抜100mの展望スペース。

 ↓こちらの眺めになります

 写真右側に四角く突き出しているものがあるのは、お分かり頂けますでしょうか?

 男性の立っている場所がその突き出しているものです。私も男性と同じ位置に立ったのですが(そこまでは許可されています)、かなりドキドキします。

 その茶色い物の正体はトンネルでして、

 トンネルの先端は海に向かって開いているのです。そして、一年に一度(何という贅沢!)、冬至の日の出が、この隧道を貫くのだそうですよ!

 と聞けばですよ、夏至は?夏至の日の出の太陽光は?と思いますよね。

 答は最初に紹介した100mギャラリー。

 夏至の朝、海から昇る太陽の光は数分間に渡ってギャラリーを走るのだそうです。

 

 こちらは『雨聴天』と名付けられたお茶室です。お茶室の入口(にじり口)からは、春分秋分の陽光が、日の出とともに差し込むそうです。

 そのにじり口の前、何か光っていますよね。沓脱ぎ石として置かれた巨大な光学ガラスです。

 「本当に水が流れているみたい」そう思いました。私の写真や文章ではその見事さを伝えきれないのが残念でなりません。この沓脱ぎ石だけではありません。江之浦測候所の素晴らしさが、私の力ではお伝え出来ないのです。でも、美術館なのになぜ測候所なのか、その答はお分かり頂けたのではないでしょうか。

 『江之浦測候所』は見学時間が3時間と決まっていて、じっくりと回っていては3時間では味わい尽くせない魅力があるのです。機会がありましたら是非訪れて見て欲しいです。ご自身の五感をフル動員して浸って頂きたい、そんな屋外美術館なのです。

 

 最後にとっておきの一枚をお見せします。「なんでも思ったことは口に出す性格で良かった」と、自画自賛もしたいと思うので。

 かつての蜜柑畑の道具小屋が整備されて、化石等の展示棟になっていました。案内係りの方もおられました。

 

 こちらの化石が不思議で不思議で。普通、化石ってこんな風に立体的ではないでしょう?係りの方に聞かずにはいられませんでした。

 「あの〜、この化石はバラバラだったものを組み立てたということなんでしょうか?」

 「いいえ、そうではないんです。この形で石の中に入っていたんです。慎重に慎重に長い時間をかけて石を削って、この状態で掘り出したものなんです。普通の化石ではなくこの形状であること、展示の仕方、そういったことを含めて杉本の美に対する意識なんです」

 ちょっと記憶が曖昧な部分もあるのですが、大筋では合っていると思います。唸らさせられませんか。

 繰り返しますね。皆さん、是非訪れて見て下さい。ソッコウ、とは言いませんから。(測候所ですけれどね 笑)続く。 

小田原市江之浦に泊まる

 一泊目は小田原市の江之浦というところに見つけたホテルに泊まることにしていました。というのは、翌日は『江之浦測候所』という憧れの美術館見学の予約をとっていたからです。ホテルから『江之浦測候所』までは徒歩15分ほどかな。皆荷物はあるけれどゆっくり行けば大丈夫、そう考えて選んだホテルでした。ところが、とにかく凄い坂道が延々続くのです。真鶴駅からホテルに向かうタクシーの中で運転手さんに聞きました。

 「明日は江之浦測候所に行くんですけど、ホテルからずっとアップダウンの道ですか?」

 「いえいえ、ホテルからはずっと登り坂です」

 明朝は車で、と以心伝心。無言で全員一致でした。

 写真は翌日、『江之浦測候所』から撮ったのですが、眼下に大きく見えている建物が私達が宿泊したホテルです。小さなホテルですが、素晴らしい眺望のホテルなのです。

 

 ホテルのお風呂は別棟にあって、外に出て歩いて行くのですが、私がお風呂から出て部屋の前で目にしたのは、波の上に浮かぶ月光の帯でした。すぐに部屋に入って大きな声で言いました。

 「皆、外に出て、カメラ持って!」

 ダラダラとお酒を飲んでいた男三人は面倒臭さそうに私をちら見して、「はぁ」と気のない返事。

 「いいから早く早く。本当に見る価値あるから」

 互いに顔を見合わせ、諦めたように部屋から出てきた三人、私の示す方向を見て、

 「おー!」

 まことにケッコウ、そう思ったのではないでしょうか、月光だけに。

 

 私の生まれ故郷は海辺の村でした。海を照らす月の光は子供の頃から見慣れたものでした。それでも、見るたびに幼心ながら神秘の思いに打たれていた(ような気がしています)。息子達にとっては初めてみる光景でした。ああ嬉しや。自分が子供の頃に見て胸打たれた光景を我が子に見せられるというのは大きな大きな喜びです。

 さて、明日は今回の旅で私イチオシの『江之浦測候所』に行きます。三人とも気に入ってくれるかな?『江之浦測候所』へ向かう道同様、このまま旅が登り坂であることを祈りつつ、私は眠りにつくのでした。続く。

神奈川県立生命の星・地球博物館

 博物館は四時半で閉館だというのに、お昼を食べ終わったのがニ時半!ここから博物館までは徒歩15分程度。歩くかタクシーか。う〜ん、そこは旅行だもの、知らない土地を歩くのも一興。川に沿って景色を見ながら博物館を目指すことにしました。

 「やー、釣りしてる!」

 「何を釣ってるのかな?」

 「看板にキャッチアンドリリースって書いてある」

 「じゃあ、ただ釣るだけ?食べないんだよね。釣って放す、楽しいの?」

 家族全員口数が多い方、しかも写真も撮りたい。ロスタイムに次ぐロスタイムで、博物館に着いたときにはもう三時。忙しい見学となりました。

 恐竜の骨格標本を見上げては、その大きさに、「絶対に勝てない」と家族全員の意見が一致したり。

 「オオアリクイにも絶対に勝てない」と私が心密かに思ったり。

 「ひー!」と老若男女四人が奇声を上げたり。見応え充分の神奈川県立生命の星・地球博物館でした。しかも、入館料400円。

 中でも、私が今回一番感動したのがこちらの隕石。

 「マンドラビラ隕石」と言いまして、はるばるオーストラリアから運んできた、重さおよそ2.5トンという巨大な隕石。「触ってもいいよ」となっていたので、当然タッチです。隕石に触るのは初めてで、嬉しかった〜。同じ地球のオーストラリアからでも「はるばる」と思うのに、遥か宇宙からやってきた隕石にこうして触れられるなんて、まさに「未知との遭遇」って感じです。皆、興味津々、見入っていました。

 一時間半の滞在で駆け足となってしまいましたが、夫も息子達も思った以上に楽しめたようで、プランナーの私としても嬉しく思っています。

 「全然面白くない。隕石?それが何?」なんて反応だったら、プランナーを引責(いんせき)辞任しなきゃなりませんからね。

 四時半の眺めです。12月の日没はあっという間。この後は電車に乗って宿泊先のホテルへと向かうのでした。続く。