おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

消極的一生モノ

今週のお題「一生モノ」

 

 「一生モノ」と聞いてイメージするのは、たいていお高い物のことだ思うんです。時計とかブランドバッグとか。あと、コートとかカシミヤストールとか。「清水の舞台から飛び降りる」ような気持ちで買う、そういった品物ですね。はてなブログ今週のお題についてのページにも、

「せっかく買うなら、一生使えるようないいものを手に入れたいものですよね」

という一文があったのが証拠です。

 で、そういった、最初から「一生モノ」と決意して手に入れた物は、積極的一生モノとでも呼ぶべきモノだと思うのですが、それに対して、そんなつもりはなかったのに、気がつけば一生使うことになりそうなモノ、言うなれば消極的一生モノってあると思うんです。我が家にもあります。

 こちらのお皿なんですが、26年前、家を建てた際に買いました。それまでは夫の実家に同居していて、食器もほとんど持っておらず、とりあえずの間に合せで、ホームセンターで買いました。一枚100円、五枚で500円でした。いつの間にか一枚割れたらしく現存するのは四枚。本当に丈夫なお皿で、食器洗い機に乱暴に突っ込むのに、残った四枚は縁が欠けることもなく、現役で大活躍しています。

 たまたま今年のお正月、息子と

 「この皿って、ずっと昔からあるよね」

という会話を交わして、そうだ、家を建ててからずっと使い続けているんだと、再認識したところでした。

 実を言うと、特に好きで選んだわけではなく、安くて大きさが丁度いいくらいの理由で買い、今現在も特に好きなお皿でもないのです。というか、私は食器にはあまりこだわりがないタイプなので。

 でも、不思議なもので、長い間身近にあるものって、不思議と愛着がわくというか、この先このお皿が割れた時には、がっかり寂しい気持ちになるだろうなと今から思います。それでも、「大事に使おう」なんて殊勝な気持ちにはサラサラなれず、やっぱり食洗機で適当に扱い続けるのですがね。

 今日の記事は、お皿のことを書いているのに、何故か書きながらしきりと夫の顔が頭に浮かぶのです。

 割れ鍋に綴じ蓋夫婦の我ら、仲間割れしないよう気を付けて、一生モノの関係でありたいです。積極的か消極的かはさておき。では。