おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

一日目 城崎の街並

 城崎駅を出た瞬間、「わ-」ってなります。古さと、こじゃれた感が一体となった街並みです。でも、駅前はメインの通りではないのです。

 

  駅の左手側には、「さとの湯」という外湯(そとゆ)が堂々とした外観をみせています。

 

 城崎温泉は街全体にクラシックな和風ムードの建物が多いのですが、全部で7箇所の外湯がさらに趣を添えているのです。

 外湯(そとゆ)についてはこちら↓

 

 

  夫情報によりますと、

「城崎は街全体を盛り上げようと、各旅館の内湯はあえて小さく制限してるんだ。お客さんには外湯巡りで夜もどんどん出歩いてもらいたい。そのためにいろいろ工夫もしてるよ」ということです。

 

 各旅館の貸し出す色浴衣に身を包んだ女性がそぞろ歩き、それも景観の一つになっています。コンビニも景観に配慮した外観です。

 

 大谿川(おおたにがわ)に沿って山側に向かう通りが「温泉街」ということになろうかと思います。

 

 通りの奥に進むほどに、格式ある旅館が並びます。写真は志賀直哉の宿として有名な三木屋さんです。

 立派な旅館や洒落た飲食店の並ぶ通りに並行する裏通りは、これもまた下の写真のように、風情あふるる空間です。春は桜の名所のようです。

 

 

 再び夫情報なのですが、

「城崎では7つの外湯全てに入る事を全湯(ぜんとう)制覇という。来る人はみんな、この全湯制覇を目指す。日帰りで制覇する人もいる。城崎に来た以上は、あなたにも全湯制覇してもらうからね」

 ということで、暑さにはとことん弱い私なのですが、城崎の風情に励まされつつ、これからの三日間、観光の合間に修行のように温泉につかることになるのでした。

 外湯巡りは勿論、浴衣です。時間はユウカタからでしょうかね。続く。

兵庫県豊岡市について

 私の住む青森県は、本州最北の地であります。よって、日本という国に関する知識・認識には大いなる偏りがあるかと思われます。

 簡単に言いますと、中部地方以南にはほとんど友人・知人・親戚の類いがいないという県民が多いと言うことです(私が思うに)。そして、滅多に旅行で行くこともないと思われます(遠いので)。

 そのことがどういう結果をもたらすか(これも私見ではありますが)、中部地方以南に具体的イメージが無い、つまりは、何も知らないということになろうかと思います。

 

 先月、突然夫から「7月の頭、GOTOが始まる前に城崎(きのさき)温泉に行こう!」という提案があり、その頃はコロナも落ち着いた感があったので、「よし、乗った」となりました。

 夫曰く、「GOTOが始まったら、城崎なんて予約無理だから」ということでした。夫は以前、城崎温泉を訪れた事があり、その人気ぶりや魅力について熱く語ってくれました。

 いやが上にも盛り上がる期待を胸に、3泊4日の城崎温泉の旅、行って参りました。

 

 青森空港から伊丹まで1時間50分。プロペラって写真に撮ると静止するのね。

 

 結果は期待以上に満足・充実の旅となったのですが、同時に思い知ったのは、

 「日本は広いなあ。私なんて本当に何も知らないんだなあ」ということでした。

 そして、私が無知である理由の一つには上に記したように、「青森生まれ・青森育ち」ということも関係あるのではないかと考えたのです。言い訳ではなく。

 

 旅の醍醐味に、未知との出会いと言うことがあると思いますが、今回の旅では、「何も知らない自分」と出会った、そのことが一番の収穫だったように思います。

 この後数日、拙ブログで城崎温泉の旅の記録を書いていこうと思うのですが、その前に、何の知識も無く彼の地を訪れた私が、帰宅してからネットで調べて驚嘆した、城崎温泉のある兵庫県豊岡市について簡単に記そうと思います。

 

 兵庫県と聞いて、私たち青森県民が思い浮かべるイメージは、「神戸」とか「姫路」とか、ではないでしょうか。それらの都市は瀬戸内海に面しています。それに対して、私が今回訪れた豊岡市は県の北部に位置し、日本海に面しているのです。いいですか、青森県民の皆さん、兵庫県は瀬戸内海と日本海と、両方に面しているんですよ。

  

 日本海に浮かぶ竜宮城です(説明は後日)。

 

 豊岡市はいわゆる平成の大合併で、旧豊岡市に城崎(きのさき)郡や出石(いずし)郡の町が合併して現在の区域となりました。

 「豊岡って何が有名か、知ってる?」と、夫に聞かれましたが、豊岡市自体知らなかったので、答えは「ノー」です。

 何でも、豊岡と言えば「鞄」なのだそうです。そのルーツは柳行李(やなぎごうり)にあるとか。奈良時代から作られていた「柳箱」は江戸時代には「豊岡の柳行李」として世に知れ渡ったそうです。

 その行李の材料となるのは湿地に生えるコリヤナギという柳なのですが、豊岡市円山川という川は、下流日本海に注ぎます)にラムサール条約に加盟する湿地を有する流れの非常に緩やかな川なのです。

 二手に分かれた狭い方の流れがうつっています。湿地の向こうには幅の広いゆったりとした円山川が流れています。

 

 さあ、問題はその湿地ですよ。湿地という場所はどこも独特な生態系を持つものですが、ここ豊岡で特筆すべきは、日本で唯一の野生のコウノトリの生息地だということです。

 実は、日本における野生のコウノトリは一度絶滅しています。その後、各地の動物園や豊岡市の飼育場で人口繁殖に成功、特に豊岡市では放鳥にも成功し、大空を優雅に飛行するコウノトリの姿が年々増えているのだそうです。見てみたいですよね。

 

 さて、日本の市町村では良く「市の○○」を制定しますね。「市の木」とか「市の鳥」とか。豊岡市では、市の木は「ヤナギ」、市の鳥は「コウノトリ」です。予想通りですね。

 豊岡市の凄いところは、「市の両生類」「市の石」「市の魚介」も制定されているところです。それぞれ、オオサンショウウオ玄武岩カニとなっています。いろんな意味で、ゴージャス!そう思われませんか。

 オオサンショウウオ、一度は見てみたいものです。

 玄武岩!これこれ。

 NHKの『ブラタモリ』でみました!豊岡市には玄武洞という採石場の跡があり、天然記念物として指定されているとか。そこで採れた石を玄武岩というのだと解説していました。行きたい、玄武洞は絶対に外せない。ここだけは出発前から夫にお願いしていました。夫も「分かってる」といい返事です。

 お願いついでに、城崎を歩きながら「今度はカニのシーズンに」と夫に言ってみました。「無理」の一言で却下されました。旅館の「カニプラン」は価格が跳ね上がるそうです。価格は横ばいとはいかないのね、カニなのに。

 

 どうでしょう皆さん、特に青森県民の皆さん、私が訪れた城崎温泉のある豊岡市の姿、少しは見えてきたでしょうか。以上のイメージを心に留めていただいて、これから数回にわたる旅の記録に是非お付き合い下さいね。

 「城崎温泉って、教科書で習ったあの『城の崎にて』の城崎でしょ?どんな話だったっけ?」なんて、しがないことを言わずにね。続く。

食洗機は私を大らかにする

今週のお題「マイベスト家電」

 

 食洗機様々の日々です。20数年前に家を建てたときに食洗機を導入しまして、現在の機種で二代目。食洗機の無い生活は考えられない、それ程頼りにして暮らしています。

 

 汚れ落ちがどうこうとか、一度に全部洗えないとか、結局鍋類は手で洗うとか、マイナスポイントも探せばきりが無いのでしょうが、結局は使う側との相性の問題なのかなと思います。

 私はかなりずぼらな性格、まあ、怠け者と言うことですね、そういう性格です。ですので食器洗いは嫌いです。なので本来は、いかに使う食器の数を少なくするか、洗い物をせずに済ませるかに腐心すると思うのです。そして、その結果は、非常にギスギスとした生活を送ることになっただろうと想像するのです。

 「なんでこんなに洗い物が出るの!」「なんでいつも私が洗うの?」とか。

 

 ところが、子供が小さいうちから食洗機を導入した私は、食器に関してだけは「いいお母さん」だったと思うのです。

 「きちんとお皿に出して食べなさい」とか、「コップで飲みなさい」とか。そういうしつけが出来たと思っています(多分)。

 また、夫も食洗機で食器を洗うことは率先してやっていたので、無駄な夫婦げんかをせずに済んだとも思います。

 最近では、帰省した男三人で盛大に酒盛りをして、次から次へとグラスを使うという場面もあるのですが、「どうぞお好きに」。結構いいグラス類もあるようですが、かまうことは無い、全部食器洗い機に突っ込みます。食器洗い機に入れて欲しくないグラスがある場合は、自分で手洗いすること、というルールです。

 いつまでも果てない酒盛りに付き合いきれずに、私が先に寝てしまった翌朝は、誰かが食洗機を回してくれたらしく、シンクがきれいに片付いています。

 「あら、誰かが食洗機やってくれたのね」起き出してきた夫にそう言いますと、

 「俺に決まってるだろ」という返事がお決まりです(笑)。

 息子たちは、言いつければやるという程度なのです。それでも、「お母さん出かけるから、食器洗い機やっておいてね」と言い置き、帰宅したときには綺麗なキッチンになっているというのは、気分の良いものです。

 

 普段は一人暮らしなので、しばしば友人達がお茶に来てくれるのですが、その際も片付けを気にせず、食器をどんどん使えるのも嬉しいです。テーブルが賑やかになりますから。

 帰り際の、「洗い物手伝いましょうか?」という友人達の申し出を、「大丈夫、食洗機があるから」と遠慮でき、友人達も「そうよね」と、気兼ねなくおいとま出来るというのも素晴らしい。

 

 以上、食洗機によって生活に潤いがもたらされたと感じているのですが、実は潤いは生活だけではなくて、私の「手」にももたらされているのです。乾燥肌で子供の頃から手荒れがひどく、ハンドクリームが欠かせない「手」なのですが、普通にケアしていればひどく荒れると言うこともなく、主婦湿疹に悩まされると言うことも無く過ごしてこれました。これも食洗機のお陰だと思っています。本当に食洗機様々です。

 最後に、アライグマはラスカル、(食器)洗い機はタスカル、このダジャレを私の食洗機に捧げ、感謝の意を表したいと思います。では。

Youtubeでさ、結構みんな同じのみてる

 Youtubeで出てくるお勧め動画を、ついつい見てしまうってありますよね。私は芸達者な子供に弱いところがあって、「この子凄そう」って思うとやっぱり見てしまうのです。

 

 この女の子の動画は不思議な中毒性があって、思い出したように何回も見てしまうのです。自分でもマニアックな趣味だなと思いつつ・・・。

 


www.youtube.com

 

 この女の子の凄いところは、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、完全に神経が行き渡っているところです。顔の表情は勿論、手の表情、お辞儀の仕方、一切隙の無い身のこなし。

 「可愛いは作れる」というCMコピーがありましたが、この子は全身全霊で「可愛い」を作っています。ちょっと古いタイプ(日本人的には)ではありますが。ただ、そのあまりの完璧さがどこか不気味と言いますか、恐ろしいといいますか、見ていて変な気分になってくるのです。

 「この子、本当に子供なのかな?実際はおばさんで、子供に見えるおばさんなんじゃないかな?」そんな風な気がしてくるのです。

 

 昨日のことです。何気なく開いたYoutubeで、見覚えがあるけど待てよ、ちょっと違うぞ!というサムネイルが目に飛び込んできました。見てしまいました。こちらです。

 


www.youtube.com

 

 キンタロー。凄いなあ、目の付け所が流石だなあ。と言うか、この女の子の動画ってそんなに有名だったの?キンタロー。のものまねタイトルは『お隣の国の天才子供歌手』となっていますが・・・。

 内容が同じ別の動画に「元ネタが私しか知らないと思ってたけど有名過ぎてて」というコメントがありましたが、同感です。全然マニアックじゃなかったです。みんな結構同じ動画を見てるんですね。

 そして、もう一つ分かったのは、当たり前ですが、この子は正真正銘の子供だと言うことです(笑)。キンタロー。がどう頑張っても子供には見えませんもの。おばさんが子供になりきるのは無理ですよね(笑)、チョウセンしても無駄って事です。

 きっとこの子は将来、「文化の発展に寄与した功績」で国家からマンションをプレゼントされ、指導者から手を取られて嬉しそうに間取りを見て回るのだろうな、そんな空想が鮮やかな映像を伴って脳内を駆け巡りました。(ほら、何のことかすぐ分かったでしょう?テレビもみんな同じのみてるねえ)

 

 ところが、そんな事を思いながら二つ目の動画に寄せられたコメントを読んでいて知りました。

 この少女はトップ子役であったらしいのですが、家族で脱北したのだそうです。今はどうしているのでしょうか。どこで暮らしているのでしょうか。たぐいまれな才能を存分に生かせるような、そういう環境で生活出来ていることを祈りたいと思います。では。

➁曽我兄弟の仇討ち

 曽我兄弟の仇討ちについて調べていましたら、「曽我の雨」又は「虎が雨」という俳句の季語があると知りました。
 曽我兄弟が仇討ちを果たし、そして兄の曽我十郎祐成が討ち死にしたのは旧暦の5月28日、雨の夜。その時以来、この日は決まって雨が降るのだとか。その雨を「曽我の雨」と言って夏の季語としているのだそうです。そして、亡くなった十郎祐成には虎御前という愛人がおり、十郎の死を悲しんで流す涙が雨となったという伝説から、「虎が雨」とも言うのだそうです。
 今年の旧暦5月28日は、去る6月26日でした。曇り空を眺めながら、降るかなあ、どうかなあと一日気になったのですが、夜になって降りましたよ、弘前では。
 「ホントに降るんだー」と、まあ、梅雨どきの偶然だろうとは思いつつ、ちょっと感慨深いものがありました。俳句が出来たらいいなあ。頑張ります。

 もう一つ。同時にネットでゲットしたウンチクもご紹介したいと思います。
 
 お正月にみる初夢は、「一富士二鷹三茄子」の順に縁起がいいとされていますね。これが実は「日本三大仇討ち」にちなんだもの、という説があるのだそうです。
 曽我兄弟の仇討ちは、富士の裾野で行われた巻狩りの際に行われました。
 赤穂浪士の主君、浅野内匠頭の家紋は丸に違いの羽。
 そして、鍵屋の辻の決闘では、見事大事をなした荒木又右衛門が名を成す、と。
 面白いなあ、良く出来てます。
 『鎌倉殿の十三人』をきっかけに曽我兄弟の仇討ち、そして日本三大仇討ちへと興味が広がって行きましたが、なかなかの奥深さでした。さながら横手のカマクラのごとし。では。

①曽我兄弟の仇討ち

 日本三大○○には実に様々なものがありますが、「三大仇討ち」というものもあります。
 「三大仇討ち」は、コトバとしては知ってはいました。忠臣蔵でしよ、曽我兄弟でしよ、あと一つは何だっけ?こんな程度に。調べましたら、あと一つは、「鍵屋の辻の決闘」というものでした。
 「鍵屋の辻」は今初めて知ったわけですが、実は、「曽我兄弟でしょ」なんてさらっと書いたものの、こちらも「曽我兄弟」という名称を知るのみで、いつ、どこで、誰を、なぜ?と言った内容については、全く無知。知ってること何にもナイヨウ、でした。
 
 4月から、何十年かぶりにNHKの大河ドラマを観ています。『鎌倉殿の十三人』。面白いんですよね。どこがどうとは言えないのですが、毎回毎回面白い。
 そして、少し前の放送が「曽我兄弟の仇討ち」の回だったのです。
 お陰様で事件のあらましは分かりました。でも、今ひとつピンと来ないのは、それが何で「三大仇討ち」の一つに数えられるほどの有名な事件になったのか、そこですよ。「忠臣蔵」なら分かります。スケールが大きい。「鍵屋の辻の決闘」は、荒木又右衛門という有名な剣豪が登場人物の一人と分かり、そのネームバリューと人気の為せる技なのかなとか、想像するのです。
 でも、「曽我兄弟」の方は(もちろん私の無知もありますが)、どこが「凄いポイント」なのか良く飲み込め無いのです。が、ドラマの仇討ちの回、ナルホドそう来たかと思わせられる展開でした。

 「私に対して謀反などあってはならぬ」と言う頼朝に対して、「その通り、此れは謀反に見せかけた仇討ちなのです」と答える北条義時
 「曽我兄弟の仇討ち、見事である。兄弟は手厚く葬り、その快挙は長く讃えよ」と、頼朝。
 ああ、こうして「曽我兄弟の仇討ち」は後の世まで伝えられ、日本三大仇討ちの一つに数えられる仕儀となったのかと、私はいたく感心したのです。
 脚本家(三谷幸喜)の想像力・創造力って凄いなあ。史実とは言っても、巷間伝えられるのは断片の寄せ集めだったりします。その隙間をどのように埋めるか。脚本家の腕の見せ所であり、私たち視聴者にとってのお楽しみ所ですね。
 それまでの放送でも、水鳥に驚いて平家の武者たちが散り散りになるという有名な場面で、北条の爺さんと三浦の爺さんのどつき合いがその原因という面白解釈がありました。また、巴御前のその後の扱いのユニークさとか。三谷幸喜の発想、面白いなあ。
 これからも『鎌倉殿の十三人』は楽しみに見続けようと思っています。でも、これからはドンドンなじみの登場人物が殺されるという鬱展開になっていくようです。そう言えば、13という数字は世界共通の不吉な数らしいのですが、タイトルの「13人」もそのことを暗示しているのでしょうか。
 この先の展開も、頼朝亡き後の二代将軍・頼家の運命も悲しいものですが、きっと腕によりをかけて料理してくれる事でしょう。興味深いです。続く。

今日は日曜日、風呂(26)の日!

 時の流れって速いものです。私は毎日暇なので、一日は結構長いのですが、一週間・一ヶ月といった単位になりますと、たちまちその早さを実感したりします。まして、一年ともなりますと本当にあっという間。今年だって、もう半分が過ぎようとしています・・・。来月には61歳だ。「還暦」を迎えてドギマギしたのはついこの前の事だったはずなのに・・・。

 

 世の中に「風呂の日」というものがあることを知ったのは、先月の26日の事でした。そしてあれから一ヶ月。いやー、速い。一ヶ月って18日分ぐらいの時間感覚じゃないですか?

 最近お気に入りのお風呂屋さんは、「風呂の日」には380円のチケットに対して無料券を2枚付けてくれるという事が分かり、先月から「よし!来月も行こう!」そう心に誓っていたのでした。

 行ってきましたよ、12時に。なぜそんな半端な時間にしたかと言いますと、今日は日曜日だから。日曜日の「風呂の日」なんて絶対混むに決まってる。でも、「女湯の昼時、ここは狙い目だ」、そう考えたのです。

 駐車場には結構車がありました。でも、読み通り、女湯は空いていましたよ。サウナもゆったり入ることが出来ました。

 さて、そのサウナにまつわる出来事です。

 水風呂のあと、露天風呂に置かれたベンチで休んでいるときです。壁際に3センチほどの黒い虫の死骸を発見したのです。

 えっ、ゴキ?

 私は虫は苦手な方です。でも、嫌なのは自分に向かってくる場合だけで、絶対に動かないと分かっている死骸は平気なのです。冷静に観察出来ます。

 ちょっと違うような気がする。

 コンタクトレンズを着けた目でよくよく見ると、それはゴキではなくクワガタなのでした。

 あれっ、これってブログネタになるかも。そう考え、拾って持って帰ることにしたのです。写真を撮らないと。文章だけでは(海千山千の)読者諸氏に信じてもらえないかもしれないもの(笑)。

 

 

 うちに帰って、玄関のところで撮りました。大きさが分かるようカタバミを入れました。コクワガタですかね?

 それにしても、私に限らず人間の価値感の面白さだと思うのですが、ゴキとクワガタでこの扱いの違い。ゴキの死骸は触れないのに、クワガタなら指でつまんで石けん箱の蓋に入れて持ち帰り、こうして写真にまで撮るのですから。

 露天風呂のベンチに腰掛けてこのクワガタをみているとき、小さい男の子が来ないものかと待ったんです。見せてあげたら喜ぶだろうなと思って。欲しいと言ったらあげたいなとも思いました。「フロの日」にフロクがつくフロック、喜んでくれるんじゃないかと思って。

 残念ながら、私がいる間に男の子が入ってくることはありませんでした。少子高齢化の現在、子供はクワガタ以上に希少価値のある存在になっているのかも。

 それにしても、もうクワガタの季節になっているんですね。時のたつのは本当にあっという間だと、繰り返し思うのです。では。