おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

大河ドラマの違和感について

 NHK大河ドラマ『どうする家康』が終わりましたね。

 私は最初の一、二回で脱落したのですが、10月頃から視聴に復帰しました。復帰した理由は、関ヶ原の戦いから大阪の陣辺りまでの知識があまりに乏しいので、「日本史」を勉強するつもりでみることにしたのでした。

 1番勉強になったのは、最近の特殊メイクの凄さかな。毎週、確実に松潤が老けていくの。惜しい(仕方ない)のは、瞳だけはキラキラのままという点かな。でも、最終回の松潤の手なんか、完全に老人!いやー、技術の進歩って凄いですね。

 ところで、ドラマが進むに連れて登場人物達がどんどん年をとっていくわけですが、そのせいで、ある時から私の中に「学芸会みたい」という思いが頭をもたげたのです。

 「学芸会みたい」というのは、一般的には稚拙とか子供っぽいということを意味するわけですが、私が感じたのはそういうことではないんです。にもかかわらず、自分でも良く分からないままに「学芸会みたい」という感想が何度も心に浮かんでいたのでした。

 そしてある時(山田裕貴が死ぬ回だったかな?)、ハッと気づいたのです。

 「学芸会みたいと言うのは、役者が実年齢よりもかなり年上の役を、老けた扮装をして演じているから感じるのだ」と。

 ほら、学芸会って、小学生が白髪のカツラを被ったり腰を曲げたりして、お爺さんやお婆さんを演じるでしょう?あのイメージと重なっていたのです。でも、一体なぜ?役者が実年齢よりも年上の役を演じるなんて当たり前のことでしょうが。何を今更。しばらく自問して分かりました。

 役者が皆、自分よりはるかに年下だからなんだ!自分の子供世代のような若い人達が、頑張って「老人」を演じているからだ!

 かつて『大河ドラマ』は、ベテランと呼ばれる(私より年上の)俳優さん達が歴史上の人物を演じていました。それがいつの間にか私が彼等を追い越していたんですね。

 だいぶ昔の記憶ですが、雑誌か何かで「年取ったと感じる出来事」というテーマの投書を読んで、なるほどと思った事があります。紹介します。

 「夏休みに、高校生のお兄さん達が野球をしていると思って観ていた甲子園。いつの間にか甲子園球児が年下になり、この頃では監督も年下だ」

 そうそう、分かる分かる。

 大河ドラマの出演者達も年下になり、なんなら、彼等が演じる武将達の享年も年下。当たり前と言えば当たり前過ぎて、私がタイトルに書いた「違和感」とは、実は自分で自分が年をとったということにいつまでも馴染めない、そういうことなのかも知れません。どうする、私。

 歳を重ねることを悲観的に考えたくはないのですが、それにしてもどうも自覚が持てないと言いますか。いつまでも気持ちだけは若くて、外見や能力の衰えとのギャップがあるように思うのです。あまりにギャップが大きいと、みっともない「勘違い老人」になってしまうと思うのです。

 例えば「甲子園球場は大阪にある」なんて勘違い、ささいなことだけれど、やっぱり勘違いはアウト!でしょう?気をつけて行きたいと思います。では。