おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

豊臣秀頼の身長

 日曜夜の大河ドラマ『どうする家康』をみて思ったことがあるのです。

 物語中、秀頼の身長を柱に刻むという場面が何度も繰り返されました。一年毎に秀頼が成長していき、ある年、とうとう父である秀吉の背丈を追い越し、番組ラストでは立派な成人男子になったという演出です。

 ネットで調べたのですが、秀吉の身長が150cm程度だったのに対して、息子の秀頼は180cm超えの「美丈夫」by家康、だったそうで、一説には197cm、161kgとも。

 そもそも、秀頼の母、淀殿(茶々)が168cmの長身美女だったそうですが、それもそのはず、淀殿の母、お市の方織田信長の妹ですが、この織田家は長身の家系で、信長170cm、お市の方165cmだったそう。さらに、淀殿の父、浅井長政も大男でして、182cmあったと伝えられています。その二人の娘である淀殿が168cmというのも納得です。

 さて、冒頭の秀頼の身長を刻む場面が繰り返し、という話に戻るのですが、これはひょっとして、隠された意図があるのではと思ったのです。

 「秀頼は秀吉の子ではない」という説が古くからあるそうです。父親とされる男性が何人かいるようですが、その中の一人が、ドラマの中で玉山鉄二が演じた大野治長なのだそうです。大男であったと伝えられています。

 ああ、だから秀頼は・・、と思わせる意図があっての演出なのかしら、そんなことを思って一人頷いたりしているのです。

 大野治長淀殿の乳母の息子で、二人は子供の頃から知った仲でした。実際の二人の間にそんなことがあり得たかと言うと、当時の秀吉の権勢を考えれば、いくらなんでもあり得ないというのが一般的な見解のようです。豊臣を貶めたいという、徳川の狙いがあっての風説の流布だったのかも知れません。

 それにしても、太閤秀吉といえども、その栄華は一代限りであったことを思えば、身長と同じく人の運命も、思いのままとはいかないものです。

 浅井三姉妹の長女、茶々が身長168cmだったのに対して、末の妹、江(徳川秀忠の妻)の身長は134cmだったそう。同じ親から生まれてもこんなに身長が違ったように、二人の歩んだ道も大きく異なりました。

 遺伝と人の運命はどう転ぶかわからない、つくづくと思わせられます。

 決してチャチャを入れているわけではないのですよ。では。