おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

鳴くよ(794)うぐいす平安京

 語呂合わせで覚えた日本史の代表と言えば、タイトルの、

 鳴くよ(794)うぐいす平安京 

または、

 いい国(1192)つくろう鎌倉幕府

ではないでしょうか。もっとも、最近の研究では鎌倉幕府の成立に関しては異論があるようですが。

 794年、桓武天皇によって都が平安京に遷されました。そのニ年後、平安京鎮護のための官寺(国のお寺ですね)として、東寺の造営がはじまったのだそうです。

 東寺の公式ホームページには、

平安京が遷都されたとき、寺院の建立は、東寺と西寺しか許されませんでした。       西寺も羅城門も、時の流れに消え、現存する平安京の遺構は、唯一、東寺だけになりました。』と、記されています。

 当時の遺構は東寺だけ、ということですね。

 ただ、創建当時のお堂や塔がそのまま残っているというわけではなく、倒壊や焼失と再建を何回か繰り返し、今日の姿になっているのでした。それらについては、日を改めて書くことにし、今日は偶然写真に収めた、「平安京そのまま」をご紹介したいと思います。

 そもそも、私が東寺に行こうと思い立ったたのは八条(京都駅の裏の方)のホテルに泊まったからです。徒歩20分程度、ちょうどいいね。そんな軽い気持ちでした。ところが、超ラッキー!

 春の特別公開中、しかも明日まで。ギリギリセーフ!西本願寺飛雲閣の仇をとった気分でした。

 「決めた!今日はあちこち欲張らず、この東寺をゆっくりじっくり見学しよう」

 そう決心し、まずは境内をぐるっと回ってみることに。すると、小ぶりな門を発見。北大門とあります。くぐりますと(一旦、東寺境内から出ることになります)、あら、いい雰囲気。

振り返って、北大門もパチリ。

 そして、北大門の前に伸びる道を眺めますと、右手に観智院という国宝の客殿を有するお寺、左手には有名な洛南高校・附属中学校という並び。「なんか凄いなー、京都的凄さだよねー」と思い、少し道を歩いて行って振り返り、北大門方向に向かって一枚撮りました。

 奥に北大門。右手に洛南高校。左手に観智院。

 どうということもない写真だと思ってたんです。ところが、やっぱり京都ですよね。一足ごとに1200年の歴史です。

 帰宅してから偶然ネットで知ったのですが、この通りは『櫛笥(くしげ)小路』と言って、平安時代から道幅と位置が変わらない、唯一の通りなのだそうです。 

 私よ、良くぞ撮ったこの写真!

 平安時代から変わらない通り、それがどうした、そう言われればそれだけの写真です。でも、こういうのが、こういう偶然の出会いが、旅の醍醐味ですよね。

 そして、旅行中には知らなかった事実を帰宅してからそうと知る嬉しさ。二度美味しいとはこの事だし、それをブログに書けば三度美味しいわけです。

 書くよウグイス平安京、なのです。

 この写真を撮ったあと、観智院を見学するのですが、そこでもやはり京都の歴史の奥深さとか底知れなさを知ることになったのでした。東寺シリーズはちょっと長くなりそうですが、1200年の歴史を背負う東寺なのです。どうぞお付き合い下さい。では。