おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「しっぺ返し」と思うのは杞憂であってほしいものだ

 何日か前にネットのニュースで、「オーストラリアでネズミが大発生。農業に深刻な被害」というのを読んだ。

 

 昨夜、テレビの『サイエンスゼロ』という番組で、「120年に一度の竹(ハチク)の開花が始まった」というのをみた。その番組を見ながらずっと、上のニュースの事を考えていた。そのことをブログに書きたいと思ったが、ながら見だったせいもあって、竹の開花についてちょっとよく分からないところがあった。今日、その疑問点をネットで調べて自分なりに解決はしたつもりなのだが、間違い・勘違いもあるかも知れない。その場合はご指摘頂ければ有り難い。

 

 竹は地下茎を伸ばして「筍」をはやし、増えていく。つまり「竹林」は地下茎でつながったクローンだ。話を分かりやすくするために、「手」をイメージして貰えればと思う。

 五本の指がそれぞれ「竹」だ。手首で一つに繋がっている。その一本一本には寿命(20年ほど)があって、一本一本、順番に駄目になる。でも、「指」との違いは新たな筍が生えてくるという点だ。ただ、「指」は全て同じDNAを持っていて、多様性の欠如という弱点がある。例えば、ある種の皮膚病によって一度に全部の指が駄目になってしまうとか。

 そこで、120年に一度一斉に花を咲かせ、花粉を交換することによって多様性を獲得するというのが、「竹」の生み出した生存戦略なのだ。そして、その前回の開花から120年目が、今年(正確には今年から10年ほどの期間)ということらしい。

 では、花が咲いた竹がどうなるかというと、実をつけたあとは枯死してしまうということだった。「手」のたとえで言うと、同じ手首で繋がる指が、一度に駄目になると言うことだ。実際、関西の里山では、竹林が枯れているのがあちらこちらで見られるそうだ。青森県には竹林自体がほとんどないので、私が目にすることはないと思われる。

 さて。 

 40年以上も前に読んだ漫画の話をする。タイトルもストーリーも覚えていないので、取り上げるのも恐縮なのだが、なぜか強烈に覚えているエピソードがあるのだ。

 猟師が、血相を変えて山から下りてくる。「大変だ、花だ。竹に花が咲いている」。それを聞いた老人達が慌てふためく。「えらいことになる。飢饉じゃ。来年は食うもんがなくなる」。ポカンとする村人達に一人の老人が言う。「花が咲いた竹は実をつける。それを食ってネズミが大発生するんじゃ」

 

 私は『サイエンスゼロ』をながら見しながらも、この、竹の実とネズミの大発生について触れるかどうかは大いに気にしていたのだが、言及は無かった。願わくば、私の漫画で得た知識が現実になるような事は無く、オーストラリアのような事態が起こらないように。本気でそう願っている。なぜなら、原子力発電所の事故や新型コロナウイルスパンデミックなど、最近は「まさか」と思うような出来事で、人間の無力さや思い上がりを考えさせられる事が起きているからだ。

 

 何か、人間が自然から「しっぺ返し」されているような、そんな気分になるこの頃なのである。竹だけに。では。

竹篦(しっぺい)とは。1 禅宗で、師家が参禅者の指導に用いる法具。長さ60センチ~1メートル、幅3センチほどの、割り竹で作った弓状の棒。2 片手の人さし指と中指とをそろえて相手の手首を打つこと。しっぺ。 goo国語辞書より