おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

太宰治『トカトントン』を読んで②

 何かを無我夢中になって、寝食を忘れるほどの情熱を持ってやってみたいと思っても、その「何か」が無いのです。あるところまでは打ち込んでみたりもするのです。ところが、さあここからだという段になると、たちまち熱情はどこかへ去り「こんな事をしたって」と、白々とした気分に襲われるのです。何もする気がしなくなってしまうのです・・・。

 

 こんな若者に対して、さあ、なんと言葉を返したらいいものか。このような手紙を送られた「ある作家」は次の様な言葉で応えたのだった。

 ・気取った苦悩ですね

 ・君は醜態(をさらすこと)を避けているようですね

 ・叡智よりも勇気を

 そして最後に添えたのはマタイによる福音書より、「身を殺して霊魂を殺し得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」(これは、私がネットでサッと調べたところでは、人間を怖れるのでは無く、神のみを怖れよという意味であるらしい)という一文だった。

 

 作家が若者に言いたいことは、「いいからやってみろ」という事に尽きるのではないだろうか。

 頭の中で「こんな事が何になる」と考えようが、「結局は無駄じゃないか」という気が起きようが、そんな事どもは一旦脇において、「何か」に一心不乱に限界まで挑戦してみろという事だろう。そして、その結果が情けなく無様なものに終わろうとも、それはそれでいいではないか。「行動」することでしか、「トカトントン」の音を振り払うことは出来ない。それしか道が無いならば、勇気を持ってあるいは諦めて腹をくくり、その道を行くしか無いのだから。

 「こんな事をしたって何になる」、一見悟ったような境地に聞こえるが、所詮しがない「人間」である我ら、それが「真」である保証はどこにもあるまい。ならば、神ならぬ身の、与えられた一生を精一杯突き進むしかあるまい、作家の意図は、かようなものであったろうと考える。

 

 この短編を読んで、実に久しぶりに自分達が「白け世代」と呼ばれた事を思い出すと同時に、あの白々とした「それが何になる」という気分も思い出していた。自分の経験に照らしてみると、「白け」というどこか厭世的な気分も、若者、つまりは青春特有のある種の繊細さであったのだろう。中年・老年と年を経るにつれ、そういった感性もいつの間にか失ってしまったように思う。かといって、「人生にワクワク」というのでもない。それでも何かしら希望を持って生きたいと思っている。「どうせ」と言っては身も蓋もないが、死ぬまでは生きるしか無いのだから。

 

 「おもしろきことも無い世だが、おもしろく生きたいものだ」と、高杉晋作が上の句をよみ、そうですね、それぞれの心持ち次第ですねと、野村望東尼が下の句をつけた、

 おもしろきことも無き世をおもしろく すみなすものは心なりけり

という歌が好きだ。

 「心なりけり」これに尽きるだろう。

 そしてもう一つ、忘れてはならないのは、先のことは人間には分からないということだ。

 自分の人生にコロナ禍のような不幸が降りかかるなんて、予想すら出来なかったように、幸福だって思いがけずやって来るかも知れない。

 例えば、昨日の記事の冒頭は「10歳ほど年下の友人とウォーキングをした」という内容だった。その友人とは元々は同僚であったのだが、職場を離れた後も縁が切れること無く、「歩きませんか」と嬉しいお誘いを頂けている。予想外の嬉しさだ。さらに、拙ブログをきっかけに『トカトントン』という面白い小説にも出会わせて貰った。彼女がいなければ読むことは無かったかも知れない。

 青春期のような繊細な感受性は失ってしまったが、ささやかな喜びを受け止められる心のヒダのようなものは、顔のシワに比例して増えていくものなのかも知れない。

 いずれにしろ、生きてこそ、一生懸命に生きてこそ、感じるもの・見えるものもあるのだろうと、読み終わった小説のこと、勧めてくれた友人の事を春の陽の中で考えているのである。

 

 とか、トントン拍子に感想が書け、二日にわたってブログネタともなった。望外の喜びである。では。