おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「コロナ禍」のつれづれに

 「去年の今頃は・・・」と、最近ちょくちょく考える。ダイヤモンド・プリンセス号とか、遠い遠い大昔のことのようだ。東京に「緊急事態宣言」というものが出るらしい、いつだ?来週か?再来週か?そんな感じだったように記憶している。

 手元にサラシがあったので、マスク作りに精を出す日々だったっけなあ。東京の息子達から要請があったらすぐに送れるようにと、ペーパー類や日持ちする食べ物をちょこちょこ買い込んだり。結局送らなかったスパゲッティやレトルトのパスタソースを、今、自分で消費している。

 元々スパゲッティはあまり好まないうえに、一人前のためにお湯を沸かすことがそもそも面倒だと、友人にこぼした。友人は「分かる!」と力強い賛意を示してくれた上に、「いいものをあげる」と、プレゼントまでくれた。それは細長いプラスチックの容器で、水とスパゲッティと塩少々をいれて電子レンジにかけると、簡単にスパゲッティを茹でることが出来るという便利グッズだった。存在は知っていたが、スパゲッティ好きでは無いので購入を考えたことはなかった。友人も何かの景品で貰ったと言うことだった。自分で使わないのか尋ねると、友人はこう答えた。

 「ウチの電子レンジは小さくて、この容器を中に入れることは出来るけど、つっかえてターンテーブルが回らないんだよね」

 ターンテーブルが回らないために、便利な容器は我が家に回って来たというわけだ。使ってみると本当に簡単便利。茹で上がりの状態も文句なし。そもそもは「スパゲッティを茹でるのが面倒だ」という私の言葉がきっかけなのだが、元を正せばコロナでスパゲッティを備蓄したことに起因する。「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺があるが、コロナのお陰で便利グッズが手に入ったことになる。これも不幸中の幸いの一つか。

 

 約六十年生きてきたが、自分の人生でこのような局面に遭遇するとはと、一年が経過してもどこか実感が薄く、現実を受け止めかねている。

 私は普段、「自分の頭で考える」とか「私なりの意見」といったことを大事にしたいと、言ったり書いたりしている人間だ。ところがどうだろう。新型コロナウイルスの登場という、少なくとも私が生まれてからでは、世界が初めて遭遇する事態に直面すると、頭の中が真っ白になった感じなのだ。前例の無い事態にただ茫然としている自分を、所詮は誰かの意見の切り貼りや受け売りを並べていただけの人間だったのだと、悲しく眺めている。

 戦争や災害や飢餓など、目を覆いたくなるような悲惨な状況は、これまでも現在も地球上のあちらこちらでおこっている。日本だって例外ではない。ただ、それらはある程度局所的だ。ところが、新型コロナウイルスは、全世界・全人類が当事者である。その違いは大きいと思う。自分を安全地帯に置いた理想論を語ることが許されない世界だ。

 そのためだろうか。新型コロナウイルスに関連する話題は常に、科学的・医学的・経済的・政治的なものばかり目につく。思想とか理念とか世界観とか、そういう見地からの発信は極めて少ないように思われる。経験の無い、我が身に直接関わる深刻な事態に戸惑っているのは私だけではないようだ。

 

 少し前友人がくれた手紙に、面白い表現があった。

 そういう(コロナの)時代に生きていること自体とても神秘的ですよね。

 その「神秘的」という表現に、ハッとした。今まで、私を含めて誰一人、今の状況をこんな風に形容した人はいなかった。少なくとも私が見聞きした範囲では。そうだ、その通りだ。今の状況は確かに神秘的ですらある。そう思った。

 私も捉えたい。彼女のように自分の感性でもって、今のこのコロナ禍を把握し、自分にピッタリくる言葉で私の心の引き出しに入れ、整頓したい。そう強く望んでいる。

 

 新型コロナウイルスが他の「災い」と決定的に違うもう一つの点は、人と人との接触を極端に制限してしまうと言う点だ。ボランティア、ジャーナリスト、地域の絆といった、苦しみの中でより必要とされる「力」、発揮される「力」を奪ってしまうのだ。

 そしてその制限が逆に、「人には人が必要」ということを再確認させることになったように思う。直接会うことは叶わなくても、会食やお酒を楽しむことは出来なくても、人は人によって慰められ励まされる。

 亡母が良く口にしていた言葉に「ひと、ひとなか」というのがある。「人はやっぱり人と一緒にいたいのだ」という意味だ。「コロナ禍」で「人、ひとなか」を改めて実感した格好だ。いつものダジャレのようになってしまったけれど、本当にそう思っている。

 持つべきものは、便利グッズや面白い言葉をくれる友であると、兼好法師に賛成するつれづれの日々なのである。では。