おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

辞書を引いた「さがり」

 昨日(28日)の東奥日報夕刊の「東奥春秋」というコラム。7月場所で好成績を収め、新十両昇進が決まった十和田市出身の錦富士について、そのさがりは、同じ場所で劇的復活Vを果たした照ノ富士の元付け人が使っていたものだ、とのことでした。

 「あれっ、さがりって何だっけ?」聞いたことがあるような、分かるような分からないような。気になったのでスマホで調べました。そして、ここがインターネットの素晴らしいところだと思うのですが、次々と関連知識もゲット出来ました。

 

 「さがり」は、力士のまわしの前方に垂れている複数の紐、あれのことでした。

 江戸時代には、力士は化粧まわしを着けて取り組みを行っていましたが、邪魔になると言うことから現行のまわしになり、その際に、名残として房の部分だけが残ったのが「さがり」なのだそうです。

 一応「さがり」の目的としては、取組中にまわしがずれた際、局部がさらされることが無いようにする最後の砦ということのようです。でも、実際には激しい取り組み中には「さがり」は落ちてしまっていることが多く、本当に役に立つのか疑わしいものがあります。

 また、そもそも紐状のものである「さがり」は本当はクニャッとしているものなのだそうです。が、関取になりますと、布海苔(ふのり)で固めた、ピンとした「さがり」を用いるのだそうです。「さがり」にも、幕内・幕下の違いがある辺り、勝負の世界の厳しさを見る思いがします。

 

 さて、ここまで力士の「まわし」と書いてきましたが、「まわし」は褌と書いて「みつ」とも言うそうで、「前みつをとる」のあの「みつ」のことなんだそうです。

 コロナ禍でソーシャルディスタンスということが言われますが、お相撲さんが「みつ」が避けられないのは、これはもう仕方ないことなんですね。

 

 そもそもはコラム「東奥春秋」の、錦富士の「さがり」はお下がりだったというトピックから始まった今日の拙ブログ。最後は新型コロナウイルスにまつわるダジャレで終わったのですが、奇しくもそのコラムの締めも、妖怪アマビエの絵を「スマートフォンの待ち受けにした」という、新型コロナウイルスにまつわるものでした。

 ところがどうも、この最後に引っかかるんですよね。「待ち受け」ってもう十分に認知されている言葉なの?新聞を読む高齢層にもちゃんと伝わるのかな~?それとも私の認識が古いだけ?

 「さがり」は解決したものの、なんとなく何かが喉につかえて下がらないような、そんな気分で居るのです。では。