おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

男性のプライドも大切だ

 6月29日の拙ブログにて、洗濯洗剤の「アタック」と「ニュービーズ」の名前を出しましたところ、関連のコメントを頂きました。

 そのコメントは「スパーク」という、現在は製造されていないライオンの洗剤についてでした。懐かしいCMソングの一節、「ホントは洗濯~ 好きじゃ無いけど~」が書いてあり、一瞬にしてタイムスリップしてしまいました。

 

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 こちらの曲の発売が1969年(昭和44年)ですので、テレビCMもその頃だったのでしょう。歌詞に隔世の感がありますね。

 

 1975年(昭和50年)のハウス食品工業のCM、『私作る人、僕食べる人』。性別役割分担の固定化につながるとして婦人団体から抗議を受け、2ヶ月で放送中止となったCMです。CMの内容よりも、放送中止の是非を巡る社会現象が印象深く、忘れられないCMです。「あなたのためな~ら、セッセとやるわ~」のスパークからわずか5年で、日本のジェンダーを巡る状況もスパークしたわけです。

 

 最近では、洗濯洗剤のCMは女性よりも男性の方が目につくぐらいで、CMの作り手の側もいろいろと気を遣っている感じがしますね。でも、どうにも気になるのは、それが本当の「男女の平等」という理念によるというより、「クレームが来ないように」という逃げの姿勢であるような気がしてしまう事です。というのは、女性に対する配慮に対して、各種CMでの男性の描かれ方があまりにぞんざいであるような気がするからです。

 男性が汚い・臭い存在のように扱われたり、妻が居ないと何も出来ない頼りない存在のように描かれたり、そんなCM、いくつも思い当たりませんか?対象が女性だったら問題になるような事が、男性相手には平気で行われていると感じるのです。

 私がそれをイヤだな~と感じるのは、勿論「男女の平等」という理念に反するからというのもありますが、それ以上に、作り手の発想が旧態依然、安易だな~と感じてしまうからなのです。

 誰かを笑い者にして「笑い」をとろう。でも、女性を笑いものにすると後が怖いから男を笑いものにしよう。そんな安易な発想があるように見えるのです。

 誰かを誰かの「下」に置いて、蔑んだり笑ったりの対象にする。差別ってそういうことですよね。

 

 妻が夫のために洗濯をする、それが「当たり前」の時代は、公には終わりました。でも、私たち一人一人の心には、「性別役割分担」や「個の違いを認めない頑なさ」が住み着いています。

 「女のくせに」と言われて悔しい思いをした女性は沢山居ると思います。その悔しさを忘れること無く、「男のくせに」とは言わない自分でありたいと思うのです。女であるとか男であるとか、その前に一人の人間であるのですから。

 

 ただねえ、60年近く生きてきて、別な思いも又あるんですよねえ。

 それは、世の中には、女の役割、つまり主婦であり母であり妻であることに十分満足している人達も居るということです。そういう人達が自分の娘を、「女の子らしく」と言って育てる、それを否定は出来ないでしょう。余計なお世話ってもんですよね。

 それと。

 「男らしさ」。

 これって、実は当の男性にとってこそ必要な「鞭」や「杖」のような気がするんです。人生にはいろいろ辛い場面がありますね。そんな時、怖れる気持ち、竦む足、怯える自分に「それでも男か」と鞭打って、「オレは男だ」と杖にすがるようにして、自分を奮い立たせるのだろうと思うのです。「男らしさ」という衣装を窮屈に感じる人もいれば、必要とする男性も結構多いのではないでしょうか。

 女性以上にジェンダーにとらわれているのは男性、そんなことも十分にアリエール!

 そう思うのですよ。では。