おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

人は過信する生き物だから

 昔良く車で通った道があります。JRの線路下を通るアンダーパスになっています。最近はあまり通らなくなりました。理由は二つ有ります。大きな方の理由は、新しい立派な道が開通しそちらが便利だから。小さな方の理由は、通る必要があまりないから。ですので、必要がある場合には通ることもあるのです。

 

 先日、久しぶりにその旧い道を通りますと、それまで無かった「注意書き」が、アスファルトの上に白くクッキリと書かれていました。

 

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 浸水注意、と書かれています。また、「ここまで水が来ていたら、一番深いところは○○mの水がたまっています」ということを示す、水深○mという文字も0.5m刻みで書かれています。

 どういう時に私がこの道を通るかと言いますと、この表示の手前にあるガソリンスタンドに寄る場合が一番多いかと思います。

 

 今から数年前の事です。大雨が降って止んだ後だったと思います。

 私はそのスタンドに給油に行きました。スタンドに入る前、私の目の先に伸びる道路は、写真の水深1mと思われる辺りから泥水に飲み込まれて行っていました。わー、と思ったものの、私は給油が済んだ後は来た道を引き返すので、「わー」以上のことは考えませんでした。

 窓をあけ、スタンドのお兄さんと会話しているときです。一台の軽自動車が走っていくのが見えました。水を前にしても怯むこと無く、進んでいくのです。私とお兄さんは同時に「うそ~」と叫び、その後も二人で「わ、わ、わ」と事態を見守りました。

 泥水に車高の半分まで浸かって立ち往生した赤い軽自動車。ボンヤリとではあるものの、私の脳裏に焼きついているのです。

 あのとき、ガソリンスタンドのお兄さんは「バガだ~」と声に出し、私も同調するように、「わいは~!」という津軽弁独特の感嘆詞を口にしたような気がします。でも、心の中には別な思いもあったのです。

 「なんか分かるな~。私もやりかねない」と思ったのです。日常生活では車は完全に生活の一部になっていて、人間を遙かに超える巨大な力を持つものでありながら、簡単に取り扱われがちです。反対に、ひとたび「故障」してしまえばただの箱になってしまうことは見過ごしてしまいがちです。車という機械の「性能」を無視し、無謀なことにに突っ込んでいく、自分もやりかねないと思ったのです。機械には疎い上に、何事も「大丈夫だろう」と楽観視しがちの性格なので。気をつけたいと思いました。

 

 この道の浸水にはもう一つ思い出がありまして、それは息子その1が高校生だった時のことです。徒歩で学校から帰って来た息子その1。この場所まで来たところ、行く手に水が見えたそうです。

 「オレもさ~、ヤバいとは思ったんだよね~。まあ、ズックと靴下はしょうねえと思ってさ。引き返すの、だるかったし。途中でズボンの裾まくったんだけど、その内に本格的にヤバくてさ。諦めたんだよね~」

 そう言って、ズボンもびしょ濡れで帰って来た息子その1でした。あの当時、この「水深○m」の表示さえあれば。いくら愚息とは言え、あえてこの道は通らなかったと思うんです。もっと早くこの道路政策をスイシンしてくれればと、ちょっぴり残念です。

 それにしても、冠水した道路を前に「イケるだろう」と思う我が息子。彼は一体何を過信したのか。それが不思議でなりません。

 思い当たるのは、彼はバスケットボールの経験者だということです。アンダーパスは「通る」と思ってしまうのかもしれません。では。