常田健(つねだけん) 1910年(明治43年)~2000年(平成12年)
洋画家。現在の青森市浪岡に生まれ、りんご園を営む傍らひとり黙々と絵を描き続けた。
絵は人に見せるためでも無く、売るためでも無く、ただ自分がかきたいから書く。そうして、いつでも手直しが出来るようにと、アトリエ代わりの土蔵にしまい込まれたおよそ300点余りの作品。それらの作品のテーマは、過酷な環境の下懸命に生きる人々の日常の姿であり、生活そのものである。
18日(木曜日)、友人と浪岡の「常田健 土蔵のアトリエ美術館」へ行ってきました。
展示されている作品の特徴として、色彩の鮮やかさ美しさがあげられます。展示室に足を踏み入れた途端、ハッとさせられました。
実りの秋の色である「黄」、自然の「緑」や「青」、農民の衣装の「茶」や「紫」や「赤」。そして女性達が頭に被る「白」。それらが美しいハーモニーを作り出しています。
構図も独特です。画家本人は農民の姿を力強く忠実に描いたと思うのですが、ずんぐりとした人々の体型はどこかユーモラスで、その構図とも相まって童画のような面白さもあるのです。
館内は撮影オッケーで、ネットにあげるのも構わないと言うことでしたので、皆さんにも是非ご覧頂きたいと思います。
ひるね 1939年
常田健の描く人々の姿は「一心不乱」の一語に尽きる気がします。働くときは勿論、休むときも昼寝するときも一心不乱。ひたすら寝るのです。
稲刈り 1950年
男も女も、大人も子供も一心の稲刈り。赤ん坊も一心に眠り、むずがる時もまた一心。
水引人 1940年
「緑」を中心とした色彩のハーモニーが美しいです。この絵についてはちょっと面白い会話を友人と交わしたのですが、それは明日の拙ブログで紹介したいと思います。
稗とり 1950年
まぶしいほどの黄金色の画面です。この絵をみたとき、ミレーの『落ち穂拾い』を連想しました。
『落ち穂拾い』も静かな絵ですが、あちらからは「シーン」という音が、『稗とり』からは「黙々」という音がする、そんな風に感じました。
村の地蔵様 1940年代
友人はこの絵を「宗教画のようだ」と評しました。ああそうだ、確かに。同感です。そして、どこかゴーギャンっぽいとも思いました。人々の表情のせいでしょうか。
宗教画のようだと言えば、下の2点をご覧下さい。まるでキリストの生涯を描いているかのようです。
親子 1950年
右端の動物は馬ではなく牛のようですが。
橇 1945年
まるで逃避行のように見えるのは、御者の姿が見えないからでしょうか。どこへ向かおうとしているのか、人々は黙したまま運命に従っているかのようです。
以上、私の特に気に入った作品を紹介しました。
以前書いたことがあるのですが、私は絵の良し悪しは全く分からないので、自分で好き勝手に見ているだけです。そして、画面からあれこれ物語を想像して楽しむのが私流です。なので、あれこれと私に語りかけてくるような饒舌な絵が好きなのですが、常田健の絵はちょっと違っていました。物語がないのです。
画面の人々は一心不乱に働き、眠り、子供を愛おしむ。画面に切り取られたのはその中の一瞬、懸命な生活の一瞬がそこにあるだけ。描かれたのは人々の生活の常だ、そう思いました。
物語の無い物語、それが常田健の絵だと思いました。続く。