おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

反省記

 今日、友人と電話をしていまして、何かで読んだ台詞のもじりを言いましたら、「いい台詞ですね。素敵!素敵!」と褒められました。

 その時は何で読んだのか思い出せず、後で調べましたら(こういう時、インターネットって本当に便利ですよね)、中島敦山月記』の中の、李徴(虎になった人)の台詞でした。

 

 「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い」

 

 これをどのようにもじって会話をしたかと言いますと、

 「せっかく引きこもり生活をするのだから何かをしようと思っても、ダラダラして結局何にもしてないの。そのくせ退屈したり。何かで読んだヤツをもじって、

 一日は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い、って感じ」

 ここで褒められたわけです。もじりは褒められましたが、生活態度は決して褒められたものではありません。

 時は春だし、でも自粛が求められているし、それなら家の片付けや整理をしよう。写真や書類の類いもちゃんとしよう。料理もして、本も読んで、俳句も頑張って、そんな風に思っていた私なのに。いえ、正確にはほとんど毎日そう思っているのです。明日こそ頑張ろう、今日こそは何かしようと。

 ところが。テレビを視たり、ネットを覗いたり、ああ暇だな~退屈だな~と思っているうちに眠っちゃったり。ハッと思う頃にはもう夕方!?こうして、あれしよう!これしよう!の計画は、今日もとらぬ狸の皮算用となってしまうのでした。山月記もじりだけに。

 

 ちょっと話は変わりますが、新型コロナウイルスのために休校があいついで、小学生から大学生・院生まで、本当に気の毒でなりません。普段は学校が休みの休日が嬉しくてしょうが無いのに、こうなってみると、学校へ通えることの幸せを思わずにはいられません。学校は勉強する場であるのは勿論ですが、友達とのかけがえの無い時間を共有する場でもあります。そして、その時間はやがて「思い出」となるものなのです。

 今日の記事では、最初に中島敦山月記』とさらりと書きましたが、それは、この短編が高校の国語の教科書に載っていて、多くの人が記憶にあるだろうと思ったからです。タイトルでピンとこなくても、「虎になった人」と聞けば思い出す方もあるでしょう。画一的という批判も多い日本人の有り様ですが、多くの人が「わかる、わかる」とうなづき合える共通の思い出があるというのは、楽しいことも多いものです。

 児童・生徒・学生の皆さんが、学校で普通の生活が出来る日が一日も早く訪れて欲しい。そして、沢山の素晴らしい思い出が、山月のようにその人生を照らすことを願っているのです。では。