おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

寺山修司ポスター展②

 「ああ、今ならアウトだなあ」、そんな風にも思った寺山修司ポスター展です。

 ポスターとしてはどれも魅力的な素敵なポスターです。でも、今日の道徳と言いますか、社会規範的にはちょっと厳しいのでは無いかと思うものが多数ありました。

 

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 特に上の一枚などは「少女を性の対象にしている」と言う点でアウトでしょうね。また、実際の作品を見ていないので本当は何だかんだ言えないのですが、寺山作品には障害者が登場する場面が結構あるようで、その描き方によってはクレームがあるかもしれません。そもそも寺山主催の劇団『天井桟敷』の旗揚げ公演作『青森県のせむし男』は、そのタイトルからして現在では差別用語とされています。

 

 こうやって考えてみますと、わずか40年の間にも、人間は科学技術のみならず倫理観や人権意識といった社会的価値観も、進歩・変化させているのだと驚きを禁じ得ません。

 それまでの自分がなんとも思わずに受け入れてきた「世の中の当たり前」が、全然当たり前ではないというのは、面白くも衝撃的なことです。頭が固くなりがちな年頃の私ですが、古い価値観に縛られること無く、新しい「世の中の考え方」について行きたいと思います。

 ここで私の言う「ついて行く」とは、必ずしも受け入れると言うことでは無く、聞く耳を持ち、理解した上でイエスかノーかを判断すると言うことです。

 ちなみに、上のポスターについて有りか無しかと問われれば、私も「無し」の側です。

 と書いてて、自己矛盾に気づきました。ちょっと前の行で「理解した上で判断」なんて書きましたが、理解したら賛成するしか無いですよね。声をあげるのは常に被害者や弱者の側で、理解してるのに賛成しないと言うことは、被害者の「痛みに寄り添わない」と言うことになってしまうので。

 

 下に貼った過去記事でも書きましたが、芸術と猥褻や性的搾取や、それから差別と言ったこととの境界は本当に難しい。そういったことを考えさせられたポスター展でありました。

 

 最後に蛇足のダジャレを。

 ポスター展①の記事中で「寺山の言語感覚って、センスある」と書きましたが、それはつまり、「言葉を巧みに用いて美しく効果的に表現する」技術があるということで、そのような技術を「修辞」といいます。さすが、寺山しゅうじ!では。

 

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