おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

オカメハチモク

 「オカメハチモク」とは、漢字で書きますと「傍目八目」。八目とは囲碁のことで、自分で打っているときよりも、他人の対局の方がよく手が見えるという意味です。転じて、本人よりも回りの方が物事がよく見えるという意味で使われたりします。昔はね。最近はほとんど聞かなくなった、活字でも見なくなったような気がします。

 

 参議院選挙が終わりましたが、選挙運動中、あるいは立候補者の過去の映像で、「失言」の数々が取り沙汰されましたね。

 「私、すぐ忖度します」とか。

 「ライターを準備しましたが、京都の火事のようになると困るので云々」とか。

 

 また、最近は吉本興業をめぐる話題でテレビは大忙しのようですが、その騒動の中でもいろいろあったようです。

 ある番組のインタビュアーが渦中の宮迫氏に

 「今のお気持ちは、何色?」と尋ねたり。

 ZOZOTOWNの前澤氏が、

 「二人の会見で笑ってしまった」とつぶやいて、大顰蹙をかったり。

 

 こういう「失言」って、なんでおきるんでしょうね。かくいう私も、結構やらかす方なので、明日は我が身と思い、真剣に考えてみました。

 結論を述べますと、「受け狙い」に走るからでしょうね。

 「受け」を狙わない人々は、今目の前にある大事な話題や問題に対しては、真正面から、100パーセントの力で向き合うと思うんですよ。それに対して、常に「受ける」ということを狙わずにはいられない、悲しい習性を持った人間というのも存在するわけで。そういった人々は、100パーセントで目の前の話題・問題に向き合うことが出来ないんですね。数パーセント、あるいはほんの0.数パーセント、無意識のうちに「面白いこと」を探すことに力を注いでしまうんですよ。そして、思いつくと、言いたくて仕方なくなるわけです。だって、「受け狙い」体質なのですから。

 ここで、最大の問題となるのは、その「思いつき」を、客観的に評価できるかどうかなのです。思いつくだけなら平和です。

 口に出す前に、その思いつきは果たして面白いのか、面白いとしてもその場にふさわしい面白さなのか、そういった事を冷静に判断出来るかどうか。そして不適格という結論が出た場合は、自分一人の胸の内にしまっておくことができるか。これらは簡単なようで、受けを狙いたい人々にとってはかなり難しい知的作業なのです。なぜなら、人間の目は自分自身の姿は見えない位置についているからです。

 人は他人の言動は細かくチェックできても、自分のことには適正な判断を下せないのです。ましてや「思いつき」にワクワクして「受け狙い」に逸っている心の状態です。それが「失言」にあたるだなんて、思いつきもしないのです。

 こうして、傍目(回り)からすれば、「なんであんな発言を」と驚く、耳を疑うような失言の数々がうまれるのだと思うのです。

 

 子どもの頃、弟たちと「五目並べ」で遊びました。自分の石が5個、縦・横・斜め、いずれかに並べば勝ちなのですが、そのためには、「この石を置けば、4個の列と3個の列が出来る」という所が肝要で、盤を見つめて一心に考えるわけです。もちろん、相手の手も読みながら。そして、「ああして、こうして、ああやれば勝てる!」と勝機に心を躍らせている次の瞬間。

 「四三(しさん)」

 相手にしてやられるのです。自分の思いつきに夢中になるあまり、相手の心を読むことを忘れてしまうのです。

 

 大人になって、囲碁を趣味とする方から、「取ろう取ろうは、取られの元」という言葉を教わりました。なるほどな~と、強く印象に残ったのです。

 

 (受けを)取ろう取ろうは、(揚げ足を)取られの元。心に刻んでイゴ、気を付けたいと思います。では。