広辞苑によりますと
老害・・・硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること
最近、はてなブログ等でも、「老害にはなりたくない」とか「あえて老害と呼ばれたい」とか、「老害」という言葉をよく目にします。気になるのは、単なる、老人から受けた被害や老人による暴力行為等までひとくくりに「老害」と表現されていることです。
冒頭の広辞苑の意味のように、「老害」とは、権力を持った老人が、その権力にものを言わせて初めてなしえる行為なのです。
人生80年時代。ちょっとやそっとでは老人は「引退」しませんからね。70過ぎても元気いっぱいに組織に君臨するご老人の方々。「後進に道を譲る」気などさらさらないでしょうから、「若手」は「待ち」の姿勢では無く「追い落とし」にかかる必要がありますね。でも、しないほうがいいですよ。そんな先例を作ったら、いつかは自分がやられますから。おとなしく列に並んで順番が回ってくるのを待つが吉。ああそうか。こうして組織の活力って、失われていくのね。
さて。
ただの年寄りがコンビニでぶち切れたり、年寄りだと言うだけで威張り腐った態度をとるのは、「老害」とは言わないのです。それらは長い人生で、「感謝」とか「謙虚」と言った美徳を身につけることが出来なかった、愚かで醜い年寄りの悪業に過ぎません。
「人」という字を思い浮かべて下さい。今見えている「人」ではなく、手書き文字を思い浮かべて欲しいのです。
ハイ、ヒトという字は~、ふんぞり返った誰かを、もう一人が懸命に支えている形ですね~。そうなんです、このふんぞり返った側が、「老害」となったり、「老醜」をさらしたりするんですね。
組織でふんぞり返っているご老人、支えている側は潰れそうですよ~。
また、持ちつ持たれつと言いますが、私のみるところ、人の役割は交互ではなく、「持つ」側はずうっと持ち、「持たれる」側はずうっと持たれるという、固定化したものの様な気がします。人から「持って貰う」のを当たり前に生きてきた老人は、思い通りになら無い場面に出会うと、簡単に爆発してしまうのでしょうね。
日本ボクシング連盟の会長を辞任後も「恫喝」まがいの行為を続けた山根前会長が追放処分になったのだそうです。どうしたら、そこまでけんとう違いの老人になれるんでしょう。悲しく情けないニュースです。