おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

泳げない私はワラのかわりに何を掴んだか

 津軽海峡の夏景色は無口ではありません。自然の美しさ、夏という季節の魅力を、雄弁に物語ります。

 そんな、津軽海峡(海水浴場まで徒歩5分の所)にうまれながら、私が初めて「海水浴」というものを経験したのは、小学一年生の「水泳訓練」でした。

 

 母方の祖父母にとって私は初孫でした。「危ない」ということだったのでしょう。目の前に海がありながら、海水浴とは無縁の生活でした。特に、祖父は心配性のうえに、孫に何かを買い与えることが大好きだったので、小学校で「水泳訓練」があると聞くや、早速、「浮き輪」を買ってきてくれたのです。

 「水泳訓練」と言っても、ただ、子供達を自由に海に放すだけ。当然、私は浮き輪でプカプカ。それが毎年のことなのですから、いつまでたっても泳げるようにはならないわけで。小学校高学年になっても、祖父が買ってくれる浮き輪でプカプカ。

「浮き輪は恥だが、役に立つ」で、今でもカナヅチです・・・。

 

 ある時、母に聞きました。「泳げないでしょ?」と。そうしましたら、母の返事に驚愕です。「ここに生まれて、泳げないわけがない」

 母の説明はこうです。

 「村には銭湯がない代わりに、家に風呂はあった。でも風呂を沸かすのはたいへんな事だったから、夏は畑から帰ったら、海で汗を流して、川で塩気を流して終わり」

1940年代の話です。いくら子煩悩な祖父でも、売っていない物(浮き輪)は買い与えようがなかったわけです。

 

f:id:takakotakakosun:20180817203605j:plain 陸奥湾に浮かぶヨットです。

(それほど高いものではないでしょう。ナミのウエといったところかな)

 

 俗に「おばあちゃん子は三文安」と言いますが、祖母は勿論、祖父にも甘やかされた

私などは「六文安」でしょうか。やっすい女なのよー私って・・・。こんな女に誰がした・・・。(津軽海峡夏景色で始まったので、最後も演歌調にしてみました)

 

教訓:転ばぬ先の杖とばかり、子供に「物」を与えるのは「憂き」ことであります。