おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

方言話者が論ずる「ら抜き言葉」

 

結論から言いますと、「はあ?」って感じです。

 

「食べれる」は「食べられる」から「ら」が抜けた誤用ではありません。

(わ、ビックリ!「食べれる」と打ったら《ら抜き表現》って出た!ダイナブックよ、お前もか)

 

 津軽でも下北でも、「食べれる」と「食べられる」は場面で使い分けられる、微妙にニュアンスの違う言葉なんです。

 

「食べれる」は自分の意思(嗜好・好き嫌いなど)といったものによる可能を表します。

 一方、「食べられる」は意思を越えた外的な要因による可能の表現に使います。

 

例1

 「私、ホヤ、食べれる」……嫌いじゃない、あるいは好きを意味します。

 「このホヤ、まだ食べられる」……痛んでいない、腐っていないという意味です。

例2(写真参照)

 「目あれば、食べれない」……恨まれそうで、口に出来ない(自分で決めてます)

 「甲殻類はアレルギーあって、食べられない」……ドクターストップ(意思を越え

                        ています)

 

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 ただし。「食べれる」「食べられる」の違いは厳密なものではなく、混ぜて使っている人も居ます。でも、他人に好き嫌いを聞く場合は、津軽でも下北でも、ほとんどの人が「〇〇食べれる?」と聞きますね。返事は「食べれる」または「食べれない」。まれに「好ぎだんだけど、食べられないのさ、糖尿あって(泣)」

 

 もう一つ。「ら抜き」ではないのですが、似た例を紹介します。「飲めない」「飲まれない」。

 

 「酒は飲めない」……下戸だという意味です。

 「今日は飲まれない」……下戸ではないが、事情があって飲めない。(車で来た

             とか、明日、胃カメラを飲むとか)

「酒は飲めない」と言われたら、「ノンアル?」とオーダーを聞き、「今日は飲まれない」と言われたら「車?」と尋ね、「代行、代行」と勧める。それが津軽の酒席のマナーです。 

 

標準語って、方言に比べて歴史が浅いじゃないですか。そんな標準語を基準に「ら抜き」だの「日本語の乱れ」だの言われてもねえ。

 無責任な「放言」としか思えないんですよね、方言ネイティブとしては。