おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

食べられるのか?食べられないのか?

 「ナマコを最初に食べたやつは尊敬する」というような表現は良く目にする気がします。ヴァリエーションとしては、ウニとかホヤとかもあるかな。

 恐らく、あまりの空腹に耐えかね一か八かで口にしたか、鳥や動物が食べているのをみて「だったら食えるじゃん」と思ったか。そんなところでしょうか。

 植物は、見た目はナマコやホヤよりは口にするハードルは低いと思いますが、危険度はむしろ高いように思います。キノコを例に出すまでもなく、植物の毒は恐ろしいですからね。

 

 先日の種差海岸ウォーキングから帰ってから、数少ない植物の写真について調べ物をしました。そして驚いたことに、どれもこれも「食用」という二文字が登場するのでした。

 「ハマボウフウ」 野菜と言っても過言ではない美味しさなのだとか。流通しているのは栽培物で、高級食材だそう。

 

 「ヤブカンゾウ」 新芽・若葉・蕾・花が食用になるそう。ヤブカンゾウは食用としてポピュラーなのか、COOKPADにレシピがありました。

 

 「ヨシ(アシ)」 若芽はタケノコに似ていて食べられるが、タケノコほど美味しくはないということです。飢饉の際に食用にされたとか。

 

 「シロヨモギ」 アイヌ文化ではヨモギ餅にして食べたそう。

 

 「スカシユリ」 鱗茎、つまり「ユリ根」が食用に。それにしてもこんな断崖に咲くなんて。強いなー。

 

 「強いなー」、それはスカシユリに限ったことではなく、植物全般に感じることなのですが、今回、あらゆる植物を食用としてきた人間の営みの一端に触れ、改めて人間というものの強さを思いました。そして、長い長い歴史の積み重ねの深さも感じました。

 厳しい環境の下、「食べられる、食べられない」の試行錯誤を経て命を繋いできた人間の歴史があっての、今日の私達の生活があるわけです。

 「えー、こんなの食べられない」

なんて食べ物に好き嫌いなんて言おうものなら、断崖に咲くスカシユリから、

「すかしてんじゃねーよ!」

って、すかさず怒られそうな気がしました。

 何でも有り難く食べられるようになりたいです。では。