おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ひと月十句は作りたい

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

 

 習慣にしたいことは、句作です。

 俳句の会に所属しているのですが、「所属している」だけに近いのが現状です。毎月締切があって、五句提出しなければならないのですが、締切前日にあわてて五句ひねり出してなんとか提出。もともと今一つな技量の上に付け焼き刃なのですから、まったくもってつまらない作ばかりなのです。

 俳句は好きです。テレビの『プレバト』は録画して必ずみています。逆に言うと、『プレバト』の俳句コーナーで夏井いつき先生の解説・添削をみることだけが、唯一、俳句を勉強している時間ということです。でも、いくら勉強をしても、実作しないのであれば全く力はつかないのです。理屈をこねて練習しないスポーツ選手のようなものです。

 

 「難しく考え過ぎず、自分の好きなように作ればいいのでは」

 そういう考え方もありますね。でも私はそうじゃないの。上手くなりたい。いい俳句を作りたい。そのためには、いい俳句とは何かを学び、そしてとにかく作ること!それが肝要、分かってはいるの。分かっちゃいるけど、出来ないのよ〜。

 せめて、ひと月に十句作りたい。そして、会に提出するときには、どれを出そうか考えて、迷って、選んで提出したい。

 立派な歳時記も持っているのです。歳時記を開くところから始めてはどうか、自分。季語というとっかかりがあれば何か生まれるんじゃないの?自分。

 

 大好きな編み物がそうでしょう?何冊かある編み物本を繰り返し眺めているうちに、「あの毛糸でこれをアレンジして編んだらどうだろう」というアイデアがうまれるじゃない。そうして、いつでも手に取れるところに編みかけを置いて、暇さえあれば編んでいるじゃない。いつでも編める状況を作って、編み物は習慣にしているじゃない。

 最新作のカーディガンです。元のデザインは単色ですが、手持ちの糸を使い切るため配色を工夫しました。出来上がりが楽しみ過ぎて、ブログもそっちのけで編んでいました。ベストに続き、本年二作目。1ヶ月1枚のペースで編んでいます(笑)。習慣を越えて中毒ですね。いくら今年がうーる年(うるう年)とは言え(久しぶりのブログでダジャレも苦しい)。

 今また別な作品(コットン糸でベスト)を編んでいますが、首がピキピキするほど編み続けてしまうので、これでは体にも良くない。もうちょっと編み物をセーブすることを習慣にして、その分、俳句を頑張りたいものです。あと、ブログもね。では。

冬の道も、たまには面白い

 昨日から、「東京に積雪」のニュースが大ニュースの様相で報じられています。転んで怪我をした方も大勢いらっしゃるようで、お見舞い申し上げます。

 よく、雪国の人は雪道に慣れていて転ばないけれど、東京の人は不慣れだから転ぶのだ、というような言説が聞かれます。でも、違うんですよね。靴が違うんですよ。正確には靴底が。友人達と話しての結論なので私の個人的見解ではありません。

 雪国に暮らす私達だって、底がツルツルの夏靴では、雪道なんて怖くてとてもじゃないけど歩けません。そう、雪のない間は夏靴、雪が降ったら冬靴を履くのが雪国の当たり前。ブーツだって、ちゃんと底を確認して、雪国仕様の溝が深い「雪道で滑らない」が売りのものを買うのです。そして、そんなブーツを履いてなお、滑りそうなところを避けて、慎重に歩くのです。

 

 さて、今冬の弘前市ですが、少雪。不気味なほど、雪が降らないのです。雪掻きが無いのは楽でいいのですが、降るべきときに降らないのはちょっと怖いですね。

 そんな雪のない2月の道を歩いていたら、あら、ワンコ発見!拡大します。

 ね、見えるでしょう?かわいいワンちゃんに。

 雪が無くても、こんなふうに凍っている箇所があるので、どうしても下を向いて歩いてしまうのですが、ごくたまにはこんな発見もあったりして。寒い冬の道でも気持ちの持ちようで、面白いこともあるものです。

 普段は雪の無い地方の方にも、出来れば冬靴で準備を整え、珍しい雪を安全に楽しく迎えていただきたいものです。

 繰り返しますが、冬靴とは、底が滑らない仕様になっているもののことですからね。そこ大事ですよ!では。

みたよ、『ゴジラマイナスワン』

 大ヒット作品と聞いて。それと、しばらく前にテレビで『シン・ゴジラ』をみたら意外に面白かったのもあり、一昨日、映画館に足を運び、『ゴジラマイナスワン』をみてきました。そもそも『ゴジラ−1.0』と書いてなんと読むのかも定かではなく、その意味するところなんて皆目わからない。そんな私でも、とても面白く、楽しめたのですから、名作・傑作なのだろうと思います。

 昭和36年生まれの私の認識では、『ゴジラ』は怪獣映画。つまり、子供向け映画です。大人は子供のお供で一緒にみる事はあっても、大の大人が『ゴジラ』をみるために映画館に行くなんて、そんな風に思っていました。でも、全然違うんですね。地方都市の平日の映画館、お客さんはちらほら程度でしたが、全員、大人。おじさん多め。皆さんもまだご覧でなければ、是非。映画館でみるべき映画ですから。

 押しも押されもせぬおばさんである私が怪獣映画である本作を楽しめたのには、大きく二つの理由があります。

➀人間ドラマがある

 様々な人間「関係」が丁度いい按配で描かれて、ヒューマンドラマとして味わえる。ネットでの評に「セリフで心情を説明し過ぎ」というのが散見されますが、私はその点も良いと思います。昭和の人間って、プライバシーの範囲が狭いですから、思ったことはあんなふうに口に出しても不思議はないです。『寅さん』の世界観ですね。それに、文芸作品ではないのですから、分かりやすくていいじゃないですか。

ゴジラが圧倒的に恐い

 もうね、ゴジラには一切の情け容赦が無くて、圧倒的暴力として人間を蹂躪しまくり。それがあたかも大規模な自然災害のようで、人間の無力さをリアリティを持って浮き彫りにするんですよ。怪獣映画なのに荒唐無稽って感じが無いんですよ。

 

 以上、私の感想であり、皆さんにおすすめする理由です。そして、もし、皆さんがみにいこうと思われたなら、以下に述べる注意点も参考になさって下さい。

➀役者の顔をみても名前がピンとこなくて、老化を実感する。

 ついこの前まで観ていた朝ドラコンビ(神木君と浜辺さん)なのに、しばらく気が付かない。また、ずっと江口のりこさんだと思っていたら、エンドロールで安藤サクラさんと分かり、驚く。

②来場者プレゼントが何なのか分からない

 B5サイズの両面にゴジラが印刷された「厚紙」を貰った(最初はクリアファイルかと)のですが、「これ何?」状態。

 帰りがけに劇場スタッフさんに尋ねました。

 「これは何というものですか?」と。流石に、「何に使うの?」とは気が引けてきけませんでした。

 「70周年記念オリジナルアートボードです」

 答を頂いてもなお分からない。ポスターの代わりなんですかね。スタッフさんは質問にちょっと驚きつつ、親切に応じてくれました。おばさんって、時々ゴジラ並の破壊力を発揮しますね。ごめんね、想定外の質問して。

 

 では皆さん、『ゴジラ』をみに行かれる際の心の準備はバッチリですね。あまりにも年寄りじみた行いで、スタッフさんや同行者に「マイナス1」と思われないよう、気を付けて行ってらして下さい。

 ちなみに、『マイナスワン』の意味するところは、敗戦で焦土と化して無(ゼロ)になった東京(日本)が、ゴジラによって更にマイナス1となる、ということだそうです。ふーん、なるほど。心も凍るような恐ろしい意味ですね、マイナス、氷点下ですものね。では。

おこがましいが、自作の漬物

今週のお題「最近おいしかったもの」

 タイトル通り、自分で漬けた『カボス大根』が美味しかったのです。腕が、というより、ネットで拾ったレシピと材料が良かったのだと思います。

 知人から大分の黄カボスというものを頂いて、何に使おうかと検索したところ、カボス大根を発見。ゆず大根というものの美味しさは知っているので、おそらくは似たようなものができるだろうと挑戦。良かった〜、美味しく出来た〜!

 黄カボスがまだ残っていたので、今日、また漬けました。

 コツはただ一つ。大根を出来るだけ薄くスライスすることでしょうか。出来上がりが楽しみ。美味しくできるといいなぁ。

 

 実は私は長い間、漬物はあまり好まなくて、無ければ無くても構わないという感じでした。そうなれば、自分が食事を作る立場である場合、当然楽な方、「漬物は無くてもいいよね」となるわけで。たまに夫が「漬物食べたい」と言うときは、買ってきて済ませていました。

 ところが、年を取るって不思議ですよね。この頃、漬物が好きになってきたんです。加えて、漬物を食べさせることなく育てた息子達が、立派な酒飲みとなり、「漬物なんかないですか?」なんて言うようになりまして。そうなると、買って食べる漬物のお高いこと!こりゃあ、安い野菜で自作しないと大変だー。というわけで、遅まきながら漬物作りを始めたのです。浅漬け専門ですが。

 自分がせっせと漬物を作るようになるなんて、思ってもみませんでした。でもね、これって凄くワクワクする変化なんです。

 ちょっと話は逸れますが、「かっこいいお婆さん」と聞けば、皆さんはどんなお婆さんを思い描きますか。例えば草笛光子さんとか、夏木マリさんとか、見目麗しい高齢女性は勿論かっこいいです。でも、目指すにはちょっとハードル高すぎ(笑)

 そこで漬物ですよ。漬物作りがめちゃくちゃ上手なお婆さん、かっこ良くないですか。私はとてもかっこいいと思います。憧れますね。そして、頑張ればなれるかもしれないじゃないですか。

 「目指せ!漬物上手なかっこいいお婆さん」

 この心の持ちようが大事です。なんと言っても、漬物も自分の未来も、いしの力が必要ですからね。では。

あら、抜け毛

 冬はほとんど毎日、ニットを着ています。やっぱり暖かいので。手編みのセーターだったり既製品だったり様々ですが、なるたけ洗濯しないほうがいいのはウール全般に言えること。なので、直接肌に触れないように重ね着を工夫して、台所に立つときはエプロン・アームカバーで防御して、なるべく汚さないように気をつけています。

 私のニットは9割がたがダークカラーです。「汚れにくさ」で色を選んでいるわけではないのですが、パステルカラーは明らかに似合わないので、どうしてもダークカラーに偏りますね。

 ニットの性質上抜け毛がくっつきやすいのですが、凄く目立つの。というのは、私の抜け毛は白髪であることが多く、ダークカラーに白ですもの、見える見える。発見するたびに、「私も年を取ったもんだ」と、ちょっと(ほんのちょっと)しみじみとしたりして。抜け毛の量に老化を感じるというのはありがちなことですが、セーターにくっついた白髪の抜け毛に感じるなんて、まさに経験者は語る、です。

 

 先日、友人が三人遊びに来てくれました。その翌日、床に黒髪の抜け毛が落ちているのを発見。

 「私の髪じゃない。綺麗な黒髪、誰の?」

 そう考えながらつまみあげてみると、あれ、長い。両手の指先でゆっくり伸ばしていくと、60cmはある!すぐにピンときました。息子その1の髪だ。

 暮れに帰省した息子その1が東京に戻ってかれこれ3週間。いくら怠け者の私だって、掃除機やクイックルワイパーを何回かはかけてます。何回かはね(笑)。それでも、どこからか出てくる抜け毛の不思議。

 そして、科捜研の出番を待つまでもなく抜け毛の主が分かるという、髪の毛というものの個性。

 セーターについている髪の毛が白ければ「お年寄り」だと分かり、息子の髪が60cmと聞けば「個性的な男性かな?」と想像する。そして、離れて暮らす息子の抜け毛を見つけた母親の気持ちはどんなかな?そんなことも考えますでしょ?

 たかが抜け毛、されど抜け毛。「かみのみぞ知る」なんて思考停止にせず、あれこれ想像してみるのも楽しいものなのです。では。

既製品セーター、三変化

まず、過去記事のご紹介からです。

 ざっくりと内容をまとめますと、「既製品のセーターをほどいて糸玉にした」という記事です。

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 写真のセーターが毛糸玉に姿を変えたというのが、タイトル「三変化」のうちの一变化目なのです。

 さてさて、この毛糸をどうしましょうか?

 元々のセーターが七分袖だったので、別なセーターに生まれ変わらせるには、毛糸の量が足りないのです。どうしようかな〜。あれこれ思案して(この時間も楽しいの!)、別な毛糸と組み合わせて、形は本を参考に、でも配色は全くのオリジナルデザインのセーターにしようと決めました。

 前身頃だけにこの糸を使い、袖と後ろ身頃には、なぜか手元にあった紺色の毛糸を使いました。このセーターが二変化目ということになりますね。

 

 完成したのが二年前(2022年)で、着用した回数が少なく、一度も洗濯もしていないのですが、なんだか全体にくたびれ感が出てきたんですよね。肘のあたりとか、裾のゴム編みとか。でも、本来の私ならそれぐらいは気にもせず、「まだまだ着るぞ!」となるのですが、このセーターに関してはちょっと違ったんです。

 「前身頃を編んだ毛糸が残っている。ほどいて足せば、ベストが編めるぞ」

 ちょうど目をつけていたレシピがあったので、昨年の暮れからとりかかり、家族が帰ってきた年末年始はちょっとお休み。そして新年早々、一人暮らしに戻るや思う存分編み物の日々を再開。今年最初のブログで「ベストを編んでいる」と書いた、そのベストがこれ。頑張りました。ベストを尽くしましたよ。

 

 

 一週間ほど前に完成したのです。三変化目です。

 肩と両脇に透かし模様が入っているのですが、お分かり頂けますでしょうか。先日の編み物教室に着ていって、先生から講評を頂きました。先生がおっしゃるには、

 「ほどくことが出来ると言うことが、編める人だからこそです。既製品には裁断されていてほどけない物もあるので、まずそこですね。そして、構造が分かるから、どこをどうほどけば良いかが分かるんですね」

 ああ、なるほど~。自分では既製品のセーターをほどくと言っても、そんな大層な事とも思っていなかった(我ながらよくやるわ~とは思っていましたが)のですが、全く編み物などしない人にとっては想定の範囲外の事かもしれませんね。

 そう考えれば、私自身も、編み物が出来る人→セーターをほどくことが出来る人→ほどいた糸で編み直しが出来る人と、三変化したのかも。私、成長してる?新年早々、ちょっと嬉しい出来事でした。では。

消極的一生モノ

今週のお題「一生モノ」

 

 「一生モノ」と聞いてイメージするのは、たいていお高い物のことだ思うんです。時計とかブランドバッグとか。あと、コートとかカシミヤストールとか。「清水の舞台から飛び降りる」ような気持ちで買う、そういった品物ですね。はてなブログ今週のお題についてのページにも、

「せっかく買うなら、一生使えるようないいものを手に入れたいものですよね」

という一文があったのが証拠です。

 で、そういった、最初から「一生モノ」と決意して手に入れた物は、積極的一生モノとでも呼ぶべきモノだと思うのですが、それに対して、そんなつもりはなかったのに、気がつけば一生使うことになりそうなモノ、言うなれば消極的一生モノってあると思うんです。我が家にもあります。

 こちらのお皿なんですが、26年前、家を建てた際に買いました。それまでは夫の実家に同居していて、食器もほとんど持っておらず、とりあえずの間に合せで、ホームセンターで買いました。一枚100円、五枚で500円でした。いつの間にか一枚割れたらしく現存するのは四枚。本当に丈夫なお皿で、食器洗い機に乱暴に突っ込むのに、残った四枚は縁が欠けることもなく、現役で大活躍しています。

 たまたま今年のお正月、息子と

 「この皿って、ずっと昔からあるよね」

という会話を交わして、そうだ、家を建ててからずっと使い続けているんだと、再認識したところでした。

 実を言うと、特に好きで選んだわけではなく、安くて大きさが丁度いいくらいの理由で買い、今現在も特に好きなお皿でもないのです。というか、私は食器にはあまりこだわりがないタイプなので。

 でも、不思議なもので、長い間身近にあるものって、不思議と愛着がわくというか、この先このお皿が割れた時には、がっかり寂しい気持ちになるだろうなと今から思います。それでも、「大事に使おう」なんて殊勝な気持ちにはサラサラなれず、やっぱり食洗機で適当に扱い続けるのですがね。

 今日の記事は、お皿のことを書いているのに、何故か書きながらしきりと夫の顔が頭に浮かぶのです。

 割れ鍋に綴じ蓋夫婦の我ら、仲間割れしないよう気を付けて、一生モノの関係でありたいです。積極的か消極的かはさておき。では。