おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「純」と「真」 2

 昨日に続いて、「真」の巻です。

 「真社会性」が今日のテーマです。この言葉はEテレの『サイエンスゼロ』で知りました。

 

 「社会性昆虫」という言葉は聞いたことがあるかと思います。あるいは、聞いたことはなくても、なんとなく想像がつくのではないでしょうか。そうです、アリやハチといった、女王を頂点とした階級社会をつくって暮らす昆虫のことです。

 最近の生物学では、その社会性昆虫をさらに厳密に定義して、「真社会性」という言葉が出来ているのだそうです。そして、「真社会性」であるかどうかの決め手は、自分では繁殖しない階級、つまり「不妊階級」が存在するかどうかなのだと説明されていました。

 さらに、階級が固定化していて役割の変更の余地がないほど、真社会性は進化していると言うことになるそうです。番組では真社会性昆虫の例としてシロアリが紹介されました。シロアリの社会は、繁殖を担う一匹の女王アリと数匹の王アリ、多数の兵隊アリと大多数の働きアリで構成されています。階級は完全に固定されています。なぜなら、彼らはその見た目からして大きく異なっており、体のつくりがその役割を規定してしまうからです。例えば兵隊アリの場合、彼らは餌を食べることもできません。なぜなら、顎が戦いのためだけに大きく特化してしまっているから。

 ここまでの説明で、真社会性をもった生き物は、せいぜい昆虫ぐらいだろうな、少なくとも哺乳類ではあり得ないな、と思いませんか。「不妊階級」の存在だの、同じ種でありながら階級によって「体のつくりが違う」だの。それらは、いわゆる下等な生物だから可能なことだろうと想像しませんか。

 ところが。

 1981年、哺乳類で初めて『ハダカデバネズミ』は真社会性を持つということがわかったのだそうです。ビックリです。

ja.wikipedia.org

  地中で暮らすために体毛がなく、土を掘るために前歯が発達しています。

  そこで、ついた名前が『ハダカデバネズミ』・・・。

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 ハダカデバネズミは繁殖能力のある女王(母)と王(父)を中心に、集団で生活します。集団には敵から仲間を守る戦士や、みんなのために必死で餌を集めたり子どもの世話をしたりする労働者という階級が存在します。シロアリと違うのは、階級は違っても、姿はほとんど同じだというところです。また、女王以外のメスが繁殖能力を失っているわけでもありません。女王は常に巣の中を巡回して、発情期を迎えそうなメスを発見すると、強いプレッシャーを与えてそれを妨害するのだそうです。シロアリに比べれば未熟な真社会性の生き物であるハダカデバネズミは、弛まざる努力によって、その社会を維持しているということになります。

 「王様は裸だ!」と子どもに笑われる童話がありますが、「ハダカの女王様」は、なりふり構わず集団の維持に頑張っているんだっでば

 最後になりますが、実はこの回の「サイエンスゼロ」のテーマは、ハダカデバネズミの長寿の秘密についてだったのです。ハダカデバネズミはただ長寿なだけではなく、病気に強く、なんと、癌にならない!「ピンピンコロリ」の見本のような存在なのだそうです。興味のわいた方、ぜひ、Wikipediaをお読み下さい。でば。(鼻がつまっています)

 

「純」と「真」 1

 今日のタイトルはなんだかNHKの朝ドラみたいですが、最近、Eテレの番組で、この二つの字の使い方で面白いと思うものがあったので、2回に分けてご紹介したいと思います。今日は「純」の巻です。

 

 スイッチインタビューという番組で、糸井重里氏が芦田愛菜氏と対談していました。

 糸井氏は外食するとき、相手が奥さんの場合は、食事中会話をしないのだそうです。黙って食べることに集中するのだそうで、これを純食事と呼んでいるとの事でした。

 

 「人と食事すると、しゃべることに気をとられてしまって、何を食べたか覚えていないことがあるんだよね。あれっ、俺、昆布締め食べたっけ?みたいな。でも、奥さんとだと、あの昆布締め美味しかったねって、ちゃんと料理が記憶にあるんだよね。これを純食事って言ってるんだけれども」

 この「」内は私の記憶で再生しているので、不正確な部分もありますが、糸井氏のおっしゃりたいことは伝えられていると思います。

 

 糸井重里氏と言えば、改めて言うまでもなく『言葉の天才』ですが、上の何気ない発言も凄いです。「食べる時は食べることに集中して、しっかりと味わう」ことを純食事と名付けたわけですが、凄いですよね。日常の言葉が糸井氏にかかると、たちまち特別な言葉に変身してしまうんですよね。

 純食事は、こんなところでさらっと披露してしまっていいの?と思うような傑作だと思うのです。『食育』とかのポスターのコピーとして使えそうじゃないですか。

 それから、もう一点。

 美味しいものの具体例として選んだのが『昆布締め』!

 会話の中で瞬間的に選び取ったのが『昆布締め』というこのセンス!美味しくて、それでいて気をつけないと印象に残らなくて、野暮ったくもないが気取りすぎでもなく、ありきたりではないが高級すぎもせず、なおかつ年齢的にピッタリ。このチョイス、センスあり過ぎ。

 

 コピ-ライターとしてあまりにも有名な糸井重里氏ですが、作詞家としての顔もお持ちなのはご存知ですか?たくさんのヒット曲がありますが、私はなんと言っても、沢田研二歌唱『TOKIO』の歌詞をイチオシします。あれはアラカン世代には泣ける歌詞ですね。

 久しぶりに聞きたくなった方はyoutubeなどでどうぞ。〇〇しながらではなく、聴くことに専念して歌詞を味わって欲しいです。純食事のように。

 では、『TOKIO』で素敵なひとときを

 

黒柳徹子さんの無邪気さ

 『徹子の部屋』は44年間も続いている!

 44年と言えば、オギャーと生まれた赤子に、早ければ孫が出来ているほどの年月ですよ。凄いことです。

 なんて、思い入れたっぷりのように書いていますが、実はほとんど視ていないんです。その44年間、私の平日の昼は、学生として学校にいたか、社会人として仕事をしていた時間だったからです。なので、私の数少ない『徹子の部屋』の記憶は、学生時代の夏休みや冬休みに、たまたま視た回に限定されているのです。

 

 何十年も前の冬休みに視たに違いないのですが、年末恒例のゲスト『タモリ』の回でした。タモリ氏がゲテモノ料理を作り、徹子氏が食べるという企画でした。

 料理の内容は覚えていないのですが、ホントにひどいもので、作っているタモリ氏自身が、作りながらあきれているといった雰囲気でした。さて、お料理が完成、徹子さん召し上がれ、の時間です。

 「まあ、あなた、これちょっと凄いわね。わ、ひどいわね、こっちはどうかしら。これもひどいわね」そういいながら、楽しそうにお料理を口にする徹子さん。見つめるタモリ氏は圧倒されているように見えました。

 タモリ氏のゲテモノ料理を嬉々として口にする黒柳徹子さん。その姿は完全に『トットちゃん』でした。テレビ番組であることなどお構いなし、他人の目にどう映るかなどの計算も一切無し、ただただ珍しい食べ物に目を輝かせ、好奇心の赴くままに食べる子どもの姿だったのです。

 本来であれば、ゲテモノ料理を作るタモリ氏が主役、味見の徹子さんは添え物のはずなのに、完全に逆転していました。徹子さんの無邪気な食べっぷりにあっけにとられているタモリ氏をみながら、「どんな名優も子役にはかなわない」という言葉を思い出さずにはいられませんでした。

 いくつになっても、しかも芸能界という荒波にもまれても、内なる「トットちゃん」を失わない、凄いぜ!黒柳さ~ん(マッチ風に)。

 なぜなら、長い人生のうちに、人は無邪気さなんてトットと忘れてしまいがちなものだと思うからです。番組の人気の秘密はこの辺にあるのではないでしょうか。では。

お化け番組「徹子の部屋」

 「ドラァグ・クイーン」っていう言葉はご存知ですか?

 私がNetflixを視聴していることは以前にも書きましたが、最近は『ル・ポールのドラァグ・レース』という番組に、はまっています。

 その番組に登場するドラァグ・クイーンとは、派手な化粧とドレスで着飾り、ハイヒールを履いて見事なパフォーマンスを披露する、「女装した男性」のことです。drag(ドラァグ)とは、「ひきずる」という意味で、ドレスの裾を引く様子からそう呼ばれるようになったという説が有力だそうです。

  番組の内容は、ドラァグ・スーパースターの称号と賞金をかけて、クイーン達が美しくも過激な戦いを繰り広げるリアリティ・ショーなのです。

 

 ここでいきなり話は変わりますが、今から42年も前の、『徹子の部屋』に故・沢村貞子さんが出演したときの、徹子さんとのやり取りが妙に私の記憶に残っているんです。

 今回、その事を書こうと思ったので、一応、ググってみたんですね。まあ無理だろうな、と思いながらも。そうしましたら、ホント、インターネットって凄い!ピンポイントでヒットしたんですよ。

  

yomu.tv

 上のリンクから抜粋します。

 沢村 「そうしないと引きずりだって言われるからね。引きずりって言うのは着物を長~くしてね、どっかそこいらがね、こう襟が汚れてるとかっていう風に。それが下町女の一番恥だっていう風に、しつけられちゃってんのよ」」

黒柳 「私なんかもう引きずりの代表っていう感じ・・・」

沢村 「そうよ。よくチャック(徹子さんのあだ名)の、私、化粧箱掃除するわよ」    

 

 ちなみに、「引きずり」とは、デジタル大辞泉によりますと、 

1 《着物の裾を長く引きずるように着るところから》しゃれて着飾ってばかりいて働かない女を、あざけっていう語。引き摺り女。

  という意味があります。
 この時の二人のやり取りが、あまりにも個性の違いが際立っていて、すご~く印象深かったのです。
 

 面白いのは、日本と外国、100年前!と現代というように、場所も時代も違うのに、しゃれて着飾る女は「引きずる」という共通点があり、呼ばれ方もそのまま「引きずり」となっているところです。

 
 それにしても、40年以上も前にみたテレビの記憶を引きずっているなんて、本当に人間の記憶って面白いものですね。
 
 今回、私がこの記憶を掘り起こすことが出来たのも、放送開始から44年目を迎える、『徹子の部屋』というお化け番組のお陰です。44年!って。
 ドラァグ・クイーンが男性からゴージャスな女性に変身する様は、まるで魔法のような見応えがありますが、黒柳徹子さんこそ、実は本物の魔女なのかもしれません。「黒船を見た女」というのも、もしかしたら本当のことなのかもと思えてきました・・・。では。あまりひきずらず、この辺にしたいと思います。

「ママさんダンプ」の「ママさん」について

 昨日の記事で、全く普通に「ママさんダンプ」と書きまして、今日になって、ハッと思ったんです。雪国じゃない人にとっては「何んのこっちゃ?」かもって。

 そう、「ママさんダンプ」は商標登録名で、一般名詞としては「スノーダンプ」と書くべきだったんですね。

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 でも、私の周りでは、10人が10人「ママさんダンプ」と呼び、「スノーダンプ」なんて言う人はいませんね。津軽では「スノーダンプ」なんて言おうものなら、「えふりこぎ」=「気取りや」のレッテルを貼られそうな気がするほどです。

 

 なぜ、ママさんダンプなのか。それには深い歴史的背景があるのです。

 イラストやさんも描いているとおり、雪国では「雪かき」は伝統的に女性の仕事でした。なぜなら、働き盛りの男性は冬期間、出稼ぎに行ってしまうから。冬の間、家庭を守るのはお母さん達の役目で、そこには当然雪かきも含まれていたわけです。そこで、女性でも楽に雪の運搬が出来るような用具が開発され、「ママさんダンプ」というネーミングが誕生することとなったわけです。

 そして、出稼ぎというものが消滅した現在でも、その伝統を最近まで引き継いだ家庭は多く、相変わらず、雪かきに精を出す女性の姿が多く見られたものです。なぜか。

 ここからは私の想像なのですが、その「出稼ぎ」がデフォだった時代に育った世代、つまり50代以上は、その目に「雪かき」をする母の姿を焼き付けているわけです。なので、その世代にとっては、雪かきは主婦がするものという思い込みがあるのだと思います。

 もう一つ。「過保護」という現代の子育ての問題点が、やっぱりあると思うのです。

 雪かきは朝早い作業です。子どもはギリギリまで寝ていたいものですよね。高校生という、十分に雪かき戦力になる娘や息子がいても、かわいそうで、起こせないんですよ。今の親は・・・。私もそうでした。熟睡状態の息子を起こして手伝わせるより、一人で頑張る方を選んでしまうんです。

 そうして、雪国に生まれながら、雪かきのやり方もろくに知らない人間ができあがるわけです。そう、雪かきって、やり方というものがあるんですよ。

 ところが、よくしたもので、そういう風に雪かきなんてしたこともない彼ら・彼女らも自分で所帯を持つと、見よう見まねでなんとかやっていくんですね。そして、「雪かき」は女の仕事という思い込みもないみたいで(寝ていて、雪かきする母の姿を見ていないので)、最近では雪かきに精を出す男性の姿も当たり前になってきました。私はまだ見たことがないのですが、「パパさんダンプ」なる雪かき用具も誕生したらしいです。

 男の仕事とか女の仕事とかとらわれず、協力して日々の生活を送るのは当たり前のことです。その当たり前がなかなか難しいのが結婚生活なのですが、雪かきで喧嘩しながらも、水に流して乗り越えていきたいものです。

 雨降って地固まると言いますが、なんたって、雪はとければ水になるものなのですから。では。

雪かきの何が大変なのか

今週のお題「雪」

 

 雪深い地域にお住まいの方にとっては当たり前すぎる事でも、雪の無い地方の方には「珍しい話」かもしれないので、「雪かき」の何が大変なのか、書こうと思います。

 

①雪は固く重い

 雪が積もると、公道には朝早くからブルドーザーが出動します。ブルドーザーの役割は道路に積もった雪を「押しのける」ことです。押しのけられた雪は道路の両側、あるいは中央分離帯にうずたかく積もります。

 さあ、朝の出勤時間です。当然、車は自宅敷地から道路へ。でも、ちょっと待って下さい。個人の敷地と公道の境には、ブルドーザーが置いていった雪の塊、それはもう氷と呼んでもいいような物体が3,40㎝、時にはそれ以上の高さで壁を作っています。それをどかさないことには、車は道路に出られません。そこで雪かきは必須。『ママさんダンプ』と呼ばれる、雪かき専用道具で、ほとんど氷のような固く重い物体を移動させなければならないのです。雪かきとは即ち雪を移動させることに他なりません。

アルミスノーカート 大

 

②雪は、かさばる

 雪をかくこと自体は、実は体力と時間さえあればどうにかなる、先の見える問題なのです。①で雪かきとは雪を移動させる事と書きましたが、最大の問題は「どこへ」移動させるかなのです。

 雪かきはやがて、移動させる場所が無くなってしまうという、ピンチの時を迎えるのです。これを津軽弁では「雪、積む所、無くなってまった」と言います。

 敷地がだだっ広いとか、川のそばに建っているとか、そういう家の方はともかく、ほとんどの家では、玄関から道路までに積もった雪や、ブルドーザーが置いていった雪を、なんとか敷地内に積み上げて凌ぎます。そして、休日にはその積み上げた雪をどこかに、家の裏とか、少し離れた川とかに持って行って、次の雪に備えるわけです。

 そして、それも限界に達すると、お金を払って業者に排雪をお願いしたりします。この排雪にかかる費用は、「なんにもならないお金だけど、仕方ない」と表現されます。

 

③道路の雪は次第に厚くなり、暖かくなると悲劇

 ブルドーザーが雪かきをしてくれるのは、公道だけです。住宅地に細く張り巡らされた「私道」と呼ばれる道には、雪かきは来てくれません。みんな、自分の家の前の雪は自分でやるんです。「ママさんダンプ」や「雪はね」で。↓

コンパル ワンタッチ式 プラ雪ハネ

 この自力での雪かきには大きな問題が二つありまして、一つはやっぱり、雪の捨て場に困ること。もう一つは、人力では、車の往来などで固められた雪は掘り起こせないので、次第に道路に厚く雪が残るようになることです。寒いうちはいいんです。固い雪の上を車で走ればいいのですから。

 問題は、3月になって暖かくなる頃、発生します。道路に厚く残っていた雪が、シャーベット状態になって、深い轍を形成します。最悪の事態です。タイヤを轍にとられて、車庫入れが出来なくなったり、時には、タイヤが埋まってしまって、前にも後ろにも出られず、立ち往生ということもあります。

 だいたいこういった狭い私道には、一冬に一度、市で排雪のサービスをしてくれていて、その一度がいつになるのか、皆、祈るような思いで待つわけです。中には、待ちきれずに、市役所に電話する方もあるようです。

 「おらほずさ、いづ、排雪はいるんだば!」(うちの辺りは、いつ排雪が来るのか)

 

④雪の罠

 これは、つい先日、私が実際に体験したことですが、生まれて初めての経験です。

 寒い朝で、フワフワの雪が30㎝ほど積もっていました。我が家の前は私道なので、ママさんダンプで雪を道路脇に寄せていたところ、滑って転んでしまったのです。道路は平らで、ママさんダンプにつかまっていて、足下は雪国仕様のゴム長。転ぶなんて考えられない。何がおきたか。

 雪国の方はご存知だと思うのですが、道路でも、アスファルトの部分とマンホールの蓋の部分では、雪の溶け方が全然違いますよね。マンホールの蓋の上の雪はすぐ溶けて、鉄製の蓋が見えていることがありますよね。我が家の前の道路はだいぶ雪が厚くなっています。でも、マンホールの蓋のところだけは、雪が溶けてガクンと低くなっていました。分かってはいたんですよ。でも。その日はフワフワの雪が、まるで「落とし穴」を隠すかのように被さっていて・・・。見事にはまってしまったのでした。

 不幸中の幸いは、とっさに右腕をついたので、手首をやっちゃったかなと思ったのですが、腰から下が穴にはまったお陰で、体重の半分しか重みがかからなかったみたいで、手首も無事で、どこも怪我は無かった事です。

 ♪ ことし最初の、雪のワナを~ なんて替え歌を歌えるのも怪我が無かったからですね。

 

 雪国は、どうしたって雪と付き合っていくしかないのですから、旅行者の方が来て下さったり、そういう街の賑わいが、やっぱり冬の暮らしの励みになると思うんです。

 雪かきの大変さをあれこれ書きましたが、雪の無い地方の方にはやっぱりピンとこない話かもしれません。百聞は一見にしかず。この雪の時期に、雪の地方を訪れてみてはいかがでしょうか。私の拙い筆では表しきれなかった発見や、旅行者ならではの雪の魅力や楽しみが待っているかもしれません。おすすめは、青森県!では。

「神頼み」に思うこと

 青森県では、本日は私立高校の一斉入試でした。第一志望で受験した人も、公立高校受検の腕試しのつもりで受けた人もいるでしょうが、皆さん合格しますように。

 

 受験シーズンになりますと、神社で合格祈願をしている人の話題をテレビのニュースで見かけます。そのたびに思うのは、「太宰府天満宮宮司のお子さんとか、大変だろうな」ということです。なんと言っても『学問の神様』がついているのですから、「失敗は許されない」というプレッシャーは凄いでしょうね。商売沽券にかかわりますものね。

 

 同じく『縁結びの神様』がついているお家の方の、結婚へのプレッシャーも凄いでしょうね。

 『縁結び』と言えば、出雲大社・・・。平成26年、ご長男が高円宮家のお姫様と年の差婚されましたね。週刊誌のあまりよろしくない記事の見出しを、以前見たような気もしますが、まあ、所詮、週刊誌ですからね。根も葉もない記事もいづもの事です。お幸せにお暮らしのことと思います・・・。「上手くいってないのでは」なんて勘ぐるのは、心がよこしまね、出雲だけに。

 

 昨日の記事で書きましたが、「はまぐり」は、夫婦和合の縁起物だとか。ご夫婦のお幸せを願って、

↓ 随分前に作った「はまぐり雛」です。可愛いでしょ。では。

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