おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

お雑煮自慢

 先日のNHKの番組で、「お雑煮」の語源を、チコちゃんから叱られながら教わりました。雑(ぞう)とは内臓の臓(ぞう)で、熱いものを食べて内臓を暖かく保つこと=保臓から来ているのだそうです。ほおーん

 

 不精者の私ですが、元旦のお雑煮は必ず作ります。理由は二つ。一つは大鍋で作っておけば二度三度と食べられ、家族の食事の支度が格段に楽になること(結局不精かい)。二つ目は、夫も二人の息子もお雑煮が好きな上に、「ウチの雑煮は美味しい」といってくれるから。

 

 我が家の「お雑煮」は、醤油味の出汁に、ゴボウ・人参・大根・焼き豆腐・鶏肉、そしてお餅は角餅の、田舎くさい、私の実家仕込みの「お雑煮」です。

 「出汁はどうやってとっているの?」と家族から毎年聞かれます。夫と息子その1は食べ物にはなかなかうるさい人種です。

 「まず、一番は昆布ね。前夜の内に、水を入れた鍋に出汁昆布を惜しげも無く大量に入れておく。それと、味の加減は醤油ではなく、塩で調整。この塩加減が大事」

 偉そうに答えた後は、これも毎年恒例の種明かしです。

 「で、決め手は市販のダシね。ヤマキ白だしをドバドバいれて、冷蔵庫に残っている蕎麦つゆなんかも入れて、あと、「ほんだし」も投入。とにかく、ダシの素をいっぱい入れれば美味しくなるのよ」

 「そうなんだよな~。昆布や鰹節だけじゃ物足りないんだよな~」家族も納得です。ねっ、食べ物に一家言あるでしょ。

 

 適当に、雑に作った「雑煮」でも、美味しいと言って喜んで食べてくれる人がいる。嬉しいことです。私もお雑煮は好きですが、一人のお正月だったらどうでしょう?作らないかも。やがては、何らかの事情によっては一人のお正月となることもあるでしょう。そのときはどうしましょうか。

 何にもしないというのも寂しいので、作らざるを得ないという状況にするため、お友達でも呼んで「新年会」をするというのもいいかも。でも、一つ大きな問題があるのです。

 私の友達はだいたい私と同世代。一人のお正月を迎える頃には、そう遠い将来ではないにしろ、皆さん「おばあさん見習い」から立派な「おばあさん」に昇格していると思うんです。「お雑煮」と言えば「お餅」・・・。

 

 「お餅」のよう寿命がのびーる、なんて賑やかに笑い合って、玄関までお見送りのつもりが玄関どころか・・・(以下自粛)

 

 えーっと、とりあえずは、お雑煮で内臓を暖めついでに、懐も暖かくなればいいな、なんて。

  とってつけたようなまとめですが、これで締めたいと思います。でごめん。

千原ジュニア氏の俳句の件

 お正月はテレビ三昧でした。特に、3日夜に放送されたMBS『プレバト 特別編』は、前々から視聴を楽しみにしていた番組でした。

 

 実は私は4年程前から「俳句」を始めまして、普段から『プレバト』の俳句コーナーで勉強しているのです。俳句の会にも所属しており、会では「俳句評なかなかのtakakoさん」ということになっているのです(自慢)

 

 さて。冒頭にあげた番組では出演者の作った俳句を、大人気・夏井いつき先生が評価・順位付けをするのですが、今回、千原ジュニア氏の句が第二位に輝きました。

 

 皹(あかぎれ)に窓の結露を吸わせけり

 

 素晴らしいですね。夏井先生は「俳句というものをわかっている」と絶賛されていました。

 私は俳句というものは全然わかっていないのですが、自分なりの評価の基準というものがありまして、読んだ瞬間、「物語」が生まれるような作品が好きです。以下、私がこの作品から勝手に紡いだ物語です。

 

 家事が一段落して、ふと窓の外に目をやると結露が邪魔をする。窓辺によって指で結露を拭うと「あ、痛い」。結露があかぎれにしみた。あかぎれの指をそっと押さえつつ、思う。「何が不満というわけではないけれど・・・」

 

 ホントに勝手な、妄想に近いような解釈ですが、こういう楽しみ方が私の「俳句評」なのです。たった十七音だからこそ、読み手が自由に解釈できるというのもまた、俳句の魅力ですね。

 

 番組をみて、今年は少し真面目に俳句に取り組んでみよう、と思いました。そういえば、はてなブログ今週のお題は『今年の抱負』です。「俳句を頑張る!」これを私の今年の抱負にしたいと思います(ブログに書いて自分を追い込むスタイルです)

 なんたって、一人暮らしで時間はほうふにあるのですから。早速、新カテゴリー「俳句」も作りました。自作句を載せたり、好きな俳句の私評を書いたりしたいと思います。お付き合い頂ければと思います、おねが~い(親指を立てつつ)ヒッチ・ハイク風に。では。

 

今年の初ブログです

 明けましておめでとうございます。本年もご愛読、宜しくお願いいたします。

 

 随分前に若い人が、

「あけおめ。ことよろ。」というお正月の挨拶をあみ出しましたが、今年は、

「まじ賀正」というのが生まれたようで、ちょっと使ってみたいと思いました。でも、「数え年59才」の私ですので、ここは一つ大人らしく、

 

 「まぢ賀正」 どうです?ちょっと粋な大人感ないですか?

 

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昨年2月撮影。我が家のベランダからの岩木山です(当ブログ2回目の登場)

 

 暮れは大雪で、難儀しました。雪かきという重労働で年末を締めることになるとは。いくら雪国・青森県でもなかなか無いことです。

 雪がシンシンと音も無く降り積もる・・・。こう書くと、詩的なイメージを持たれる方もいらっしゃるかも知れませんが、この「音も無く降る」ところが、雪の嫌らしいところなんですよ。

 雨は音で察知できますよね。ところが、雪は朝起きてカーテンを開け、外を見るまでは、どの位積もっているかわからない。なので雪国に住まう者は、冬の朝はカーテンを恐る恐る開けてみるのです。夜の間に雪が降っていなければラッキー、あと30分寝られる。30㎝程も積もっていたときの絶望感ときたら・・・。仕方ない、着替えて雪かきです。

    

     雪   三好達治

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。

  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む。 

 

 教科書にも載っている有名な詩です。降り積もる雪が、世界から音を消し去ったかのような、夜の情景です。すっぽりと雪に覆われた家の中で、太郎や次郎はどんな夢をみているのでしょうか。

 

 寒い夜は、布団の中との温度差のせいでしょうか、何時にも増してよく眠れるような気がします。私はあんまりグッスリ眠るので、「夢」をみることもありません。皆さんは如何ですか。いい「初夢」はみられましたでしょうか。

 

 新しい年の始まりです。気持ちも新たに、ブログ再開です。

 降る雪のように、音はさせずとも、文字を積み重ねていきたいと思います。宜しくお頼申しますのー

 

 

「年取り」の思い出

 私の故郷では、大晦日の夜を「年取り」と呼び、夜にはご馳走を食べます。子供の頃、我が家では「年取り」は母の実家でお膳を食べるのが恒例で、そのお膳にはお年玉の袋も置かれました。

 お年玉を気にしながらお膳のご馳走を食べていると、決まって祖母から聞かれることがあります。

 「たかこは、今度、何歳になる?」

 私の返事は

 「昔の数え方だと〇才、誕生日が来れば〇才」

 

 明治生まれの祖母にとっては、年齢とは「数え年」のことだったので、祖母が実感として把握出来るよう、随分小さい頃からそういう風に答えていました。「満年齢」も付け加えるのは、「数え年」では何だかすっきりしない、自分自身のこだわりがあったからなのでしょう。

 

 今更感があるのですが、「数え年」と「満年齢」についてちょっと説明させてください。たま~に私のブログを読んでくれる、ウチの息子達に教えておきたいので。

 

 昔はさ、0才って考えがなかったから、人は生まれた瞬間に1才になるの。そして、その年が終わって、元旦を迎えると、すべての人が一斉に、一つ年をとるのさ。誕生日に年が増えるんじゃ無いの。極端な例だと12月31日に生まれた赤ちゃんは、次の日には2才になるってこと。だから、同じ年に生まれた人はいつでも全員同じ年。これが「数え年」。それに対して、生まれたときは0才、誕生日を迎えたら、1才プラスするというのが「満年齢」。こっちが今の一般的な年齢の数え方ね。

 ところが、人生の折々には、慣れ親しんだ「満年齢」ではなく、なじみの無い「数え年」で表される場面がちょいちょい出て来るの。厄年とか、長寿のお祝いの年齢とか。

 そして、これは「大人」でも結構知らない人がいるんだけど、人が亡くなったときの年齢、いわゆる「行年(ぎょうねん)」ってやつね、これも「数え年」で表すものなのよ。覚えておいて欲しいです。

 

 大晦日は、一晩寝れば、明くる日には一つ年をとっています。それで「年取り」と言ったのでしょう。「年取り」の思い出から、縁起でも無い「行年」の話まで行ってしまいましたが、次のような歌もあります。

 

 正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 

 有名な一休禅師の歌です。これも、「正月には一つ年をとる」ということを踏まえての作でしょう。正月もめでたい一方ではないというのもまた、年齢を重ねて実感するお正月の味わい方の一つかも知れませんね。

 

 さて、年末年始はさすがに不精者の私でも、それなりにいろいろ気ぜわしいこともあり、ちょっとブログはお休みします。皆さん寂しいでしょう(!)がお許しください。お正月明けには再開したいと思います。

 皆さん、「いいお年を」。そして、また一つ「いいお年」になってください。では。

 

 

 

コロイドの話 2

 コロイド溶液という言葉は聞いたことがありますか。液体の中に、微粒子が散らばっているものをそう呼びます。非常にざっくりとした説明ですが。

 具体的なものとしては、牛乳、インク、塗料、泥水などがあります。これらのコロイドの中には、疎水コロイドと呼ばれる「沈殿」を起こしやすいものもあります。

 疎水コロイドがどういう条件で沈殿するかというと、電解質、つまり溶液中の「イオン」に出会ったとき、凄い勢いで沈殿してしまうのです。

 

 さて、前回、私が予告した豆知識ですが、皆さんは「三角州」はご存知ですよね、大きな川の河口に形成される、土砂が堆積して出来た陸地のことです。

 じゃあさあ、なんで河口でいきなり形成されるの?川の流れで泥が運ばれるなら、途中から少しずつ堆積していけばいいんじゃない?なんで河口で一気に堆積するの?

 私も、ボーッと生きているので、ある時まで「三角州」の謎に気がつきませんでした。というより、答えを知って、改めてその不思議に気づかされたのでした。

 

 では、答えです。

 コロイド溶液の例として、泥水をあげましたが、濁った川の水に含まれる大量の「泥」は、コロイドという粒子の状態で水の中に散らばっており、沈殿することなく流されていきます。そして、この泥水は疎水コロイドなのです。ここ、大事です。

 川はやがて海に至ります。海には「塩」、つまり塩化ナトリウム等の電解質が大量にあり、イオンとなって海水中に存在します。それらのイオンとコロイド出会うとき、「凝析(ぎょうせき)」という沈殿を起こす現象が生ずるのです。なので、三角州は海のイオンと、泥水というコロイドが出会う場所、すなわち河口に形成されることになるわけです。

 どうでしょう。ご理解頂けましたか。そして、私と同じく、三角州の成り立ちに、改めて「へー!」となって頂けましたでしょうか。

 

 ちなみに、「凝析」の例として、パスタを茹でるときの食塩があります。食塩の力でパスタ表面のタンパク質を凝固させ、ツルツル感を出すのだそうです。ちゃんと理屈があるでんて。では。

 

 

 

コロイドの話 1

 中学校の理科で「チンダル現象」って、習ったと思うんです。具体的な例として、ホコリに光が当たると、散乱によって、光の通り道が帯状に見えるってヤツです。

 私の通っていた中学校の階段の踊り場に、丁度いい具合に光が差し込んで、いつもホコリがキラキラと舞い踊っている(踊り場だけに)場所がありました。通る度に「チンダル現象だー!」って友達と言い合ったり、あるいは心の中で呟いていたりしたことを覚えています。懐かしい・・・。

 

 一週間程前のことです。出勤途中の車のフロントガラスから見える、遠くの空の雲間から、何筋もの光の帯が地上に伸びていました。写真を撮れなかったのが残念ですが、皆さんも、ああ、あれかとすぐに見当がつくと思います。それほど珍しい現象ではありませんが、見る度に、はっとするほどの美しさがあります。神々しい眺めです。 

 気象現象としては、「薄明光線(はくめいこうせん)」と言いますが、「天使のハシゴ」とか、「ヤコブのはしご」とも呼ばれるそうです。なるほど、天国に至る道という感じですね。

薄明光線 - Wikipedia

  ↓ 上記Wikipediaより

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 薄明光線はチンダル現象の一種で、空気中の目には見えない水滴によって光が散乱され、光芒が見えるようになっています。

 今回、Wikipediaで知ったのですが、宮沢賢治はこの現象を

「光のパイプオルガン」と表現したのだそうです。

「光のパイプオルガン」・・・。天上から荘厳な音色が降り注いで来るようです。凄い表現ですね。薄明光線を表す、これ以上の表現はないかもしれません。

 

 薄明光線を作り出す水滴のような、目には見えない大きさの粒子を、「コロイド」と言います。「コロイド」粒子には、その大きさに起因する独特の性質があります。光を散乱させるというのも、その内の一つです。

 この「コロイド」の性質について、人に教えたくて教えたくて、ウズウズしている豆知識があるんです。次回はそのことを書きたいと思います。ちょっと難しい内容になるかも知れませんが、宮沢賢治好きの文系人間にも分かりやすく、という方針はけんじしたいと思いますので、ぜひ、お付き合いください。では。

クリスマスあれこれ 4 (クリスマス・ソング)

 昨日、イトーヨーカドーに行きましたら、クリスマス・ソング

「リトルドラマーボーイ」が流れていました。この歌の詞の大意は、

  

 僕は貧しく、神の御子の誕生をお祝いする品は何も持っていません。代わりに、ドラムをたたきましょう。このドラムが僕の心からのお祝いです。ラパパンパン、ラパパンパン・・・。ああ、イエス様が微笑んで下さった・・・。

 

 拙ブログの「クリスマスあれこれ 1」で書きました、『マギの礼拝』の場面です。ドラムを持った貧しい少年も、三博士について行ったというわけです。

 この曲はいろいろな方が歌っていて、皆さんそれぞれの味わいがありますが、やっぱり、子供時代のマイケル・ジャクソンの歌声が一番、歌詞にしっくり来るような気がします。       

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 クリスマスにちなんだ、「イントロ当てで年齢がわかるクイズ」ってご存知ですか?(文字で伝えるのはちょっと難しいのですが、お付き合いください)

 「チャチャチャン、チャチャチャン♪」で始まる曲といえば?という問題に対して、

 

 「ジングルベル」と答えれば、若いひと。「青い山脈」と答えれば、ご年配(しかも相当の)ということになるのだそうです。あなたはどちらでした?

 

 もう一つ。歌詞で年代のわかるクイズを。

 「ようこそ」で始まる曲と言えば?

 

 あなたの答えは、

 光GENJI『パラダイス銀河』?それとも桜田淳子『私の青い鳥』?

 

 宜しければ、クリスマス・パーティーのネタとしてお使いください。お一人のかたも、口ずさんでみるなり、Youtubeで気になる曲を探してみたりするのも、楽しいかと思います。では、皆さん、楽しい一日を。

 そして、そんな一日に、私のブログ、ダジャレのパラダイスへ、ようこそ!たくさんの閲覧、うれしいです。えっ、さくらだろって?違います!