おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

理想のコンビの宝庫「エースをねらえ!」

 「エースをねらえ!」は間違いなく、名作マンガですね。

エースをねらえ! - Wikipedia

 

エースをねらえ! 3 (マーガレットコミックスDIGITAL)

 

 登場人物の一人一人が非常に魅力的なのは勿論ですが、理想的コンビ像も、そこにはあるのです。

 主人公・岡ひろみと宗方コーチ。ひろみとお蝶夫人。藤堂さんと尾崎さん(千葉ちゃんも入ると理想のトリオになります)。宗方コーチと加賀のお蘭。宗方コーチと桂大悟。ヒロミとジャッキー。ひろみの飼い猫ゴエモンとシナモン・・・。

 

 あまたのコンビの中で、私がナンバーワンとして取り上げるのは、

「ひろみと牧」のコンビです。

 牧ちゃん、覚えてますか。そう、ひろみの親友です。

 二人は高校に入学して、一緒に憧れの西高テニス部に入部します。二人とも「性格がいい」のが取り柄のフツーの女の子でした。ところが、ひろみ一人だけ、どんどん「高み」へと階段を、それも凄いスピードで上っていくのです。

 そこには深い苦悩と涙の日々、栄光と挫折の繰り返しが待っています。そして、そのひろみの回りには、宗方コーチを始めとした、そうそうたるメンバーが集まり、やがてひろみは、世界レベルの綺羅星のごとき人々の中へと入って行くことになるのです。

 一方。

 牧は一貫してフツーの女の子のままです。ブレること無く、ひろみを支え応援し続ける、一般人なのです。格差です。しかも、広がリ続ける格差です。ところが、牧という人は、妬むこと無く、卑屈になること無く、変わらぬ友情を示し続けるのです。

 マンガだもの。そう言ってしまえばそれまでですが、でも、牧がひろみに対して変わらぬ友情を持ち続けたのには理由があると思うのです。それは、他ならぬ、ひろみが変わらなかったからではないでしょうか。テニスで脚光を浴び、煌びやかな人達に囲まれようとも、おごること無く、慢心すること無く、「素直」な心を持ち続けること、それこそが宗方コーチが見抜いた、ひろみの最大の武器だったのです。

 類は友を呼ぶと言いますが、「ひろみと牧」というコンビは、「素直な心」という共通項で結ばれているのだと思います。

 

 人は変わります。それゆえに友情は脆いものでもあります。それを強固に結びつけるものとして「素直な心」に勝るものはないでしょう。でも、その素直さを持ち続けることは難しい。「素直さ」を失わない、それもまた大きな才能の一つであり、そういう意味では牧という人もまた、大いなる才能に恵まれた者の一人なのです。

 

 テニスや勉強に抜きん出た登場人物の中で、全くフツーの女の子・牧。トランプで言えば、彼女はエース揃いの中で異色の活躍を見せる、ジョーカーのような存在かも知れないと、改めて思うのです。

 さて。ジョーカーは2枚。もう一枚は・・・、やっぱり千葉ちゃんでしょうね。リップ・サービスではなく。ファンも多いですよね。(メガネ男子のさきがけですものね)では。

 

 

クリスマスあれこれ 3(クリスマスの挨拶)

 インターネットで知ったのですが・・・。

 最近のアメリカでは、公の場で「メリークリスマス」という挨拶は使われないのだそうです。なぜかというと、多様な宗教に配慮する必要があるから。「ポリティカル・コレクトネス」というやつです。では、この時期にはなんという挨拶言葉が交わされるかというと、「ハッピーホリデー」というのだそうです。

 同様に、「クリスマスツリー」は「ホリデーツリー」と言い換えられたりしているそうです。むしろ日本のほうが、「クリスマス、クリスマス」と盛大に騒いでいるらしいのです。さすが日本(複雑な意味で)。

 

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 去年の、イタリア・ミラノのガレリア(屋根付き商店街)に飾られたスワロフスキー(通称スワロ)のクリスタル・ガラスで飾られたクリスマスツリーです。周辺に椅子はないので、すわろとしないで下さいね。

 

  日本独自のクリスマスの食べ物と言えば「チキン」。私が子供の頃は「骨付き鳥モモ肉のロースト」がメジャーでしたが、最近は「フライドチキン」ですね。特に、サンダースおじさんのお店は、予約が必須のようで。

 そうそう、カーネル・サンダースと言えば、今年は沢田研二を思い出さずにはいられません。ジュリーも変わりましたね・・・。「時の過ぎゆくままに、この身を任せ」って、そういう意味じゃないような気がするんですけど・・・。自戒の意味も込めて。

 では。三連休、ハッピーホリデー!

クリスマスあれこれ 2(プレゼピオ)

 日曜日、久しぶりに街に行きましたら、クリスマスモードになっていました。子供が大きくなってしまうと、クリスマスも、何することもないのです。

 つい何年か前までは、「サンタさんからのクリスマスプレゼント」にするために、子供が欲しがっているゲーム機やゲームソフトを手に入れるために、あくせくしていたのが、遠い遠い昔のことのようです。

 

 日本では クリスマスの飾りと言えば「ツリー」ですが、イタリアやスペインと言ったカトリックの国では、キリスト降誕の場面を人形で表す飾り付けがメインのようです。

 イタリア語では「プレゼピオ」、スペイン語では「ベレン」、ドイツ語では「クリッペ」と呼びます。

 

 沢山の人形を用いて表されるのは、昨日の記事で書いた、「東方三博士の礼拝」の場面が多いようです。嬰児イエスを中心として、母・マリア、父・ヨセフ、三人の博士と付き従う者達、そして羊飼いといった人形達です。

 イエス・キリストの人生と受難の最期を思うと、この「降誕」の場面が心からお祝いできる唯一のシーンなのかも知れません。

 

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 ローマの「サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会」のプレゼピオ。中心の嬰児・イエスがみえますでしょうか。 

 

 

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 こちらはフィレンツェのドゥオーモ(大聖堂)「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の正面横に設けられた、等身大のプレゼピオです。

 

  海外旅行先としては、クリスマスシーズンのヨーロッパはお薦めできないという意見があります。お店やレストランが閉まっていたり、教会もクリスマス・ミサのために観光客お断りになったりするから、というのがその理由です。

 でもまあ、ものは考えようで、写真のようにクリスマスシーズンにしかお目にかかれないものもありますので、それはそれで。

 

 

 私はキリスト教徒ではないし、始めに書いたとおり、子供も大きくなってしまうと特に何をすることも無いのです。が、街を彩るツリーを始めとしたデコレーションやケーキの見本など、クリスマスはおばさんでも心浮き立つような独特のマジックがありますね。

 特に、青森県のような、雪に閉じ込められる長い冬の生活を送る地域の者にとっては、クリスマスの煌めきは特別感があります。ただの楽しいイベントとしてクリスマスを祝うのは、本来の意味からすれば節操の無いことなのでしょうが、「節操の無さ」もまた、ある意味、日本人の特権かもしれません。

 

 きっと今頃、サンタクロースはクリスマス準備の大詰めを迎えていることでしょう。トナカイの体調管理やソリのメンテナンスや。中には、どうも仲間とソリの合わないトナカイもいたりして。無事、準備万端整って、全ての子供達にプレゼントが届くといいなと思います。

 小さいお子さんのいらっしゃる読者の方、頑張ってくりっぺ!(どこ弁?)

 

クリスマスあれこれ 1 (賢者の贈り物)

 オー・ヘンリー「賢者の贈り物」は、かつてテレビCMでストーリーが語られたこともあり、日本でもすっかりお馴染みになったクリスマスの物語です。

 

 貧しく若い夫婦の、クリスマスプレゼントをめぐるお話です。妻は夫の宝物の「懐中時計」に付ける鎖をプレゼントするために、美しい「髪」を売ります。夫は愛する妻の美しい髪を飾る「櫛」を買うために、時計を売ってしまいます。せっかくの二つのプレゼントは無駄になってしまうのでした・・・。

 でも物語の最後は、次の様な著者の言葉で締めくくられます。

プレゼントをやりとりする人々の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢明な人である。彼らこそ「賢者」なのだ。 

 

 ずっと疑問に思っていました。なぜ「賢者」なの? この夫婦が愛と思いやりに満ちているのはわかります。でも、「賢い」というより、「愚か」って感じじゃない?どう解釈したら「賢者」になるの?

 答は原題にありました。

 原題は、「The Gift of the Magi」です。「Magi」が鍵を握っています。英語の発音では「マージェイ」みたいな感じですが、日本ではラテン語読みの「マギ」が一般的です。

 イエス・キリストが降誕したとき、夜空には星が輝き「ユダヤの王」の誕生を告げました。星に導かれた東方の三博士がイエスの下へ「贈り物」を携え、やってきます。有名な「東方三博士の礼拝」または「マギの礼拝」と呼ばれる逸話です。「マギ」とは「博士」の意味です。絵画にも多く描かれたシーンです。

 

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「東方三博士の礼拝」  サンドロ=ボッティチェリ

 

  三人の「マギ」は嬰児イエスに最もふさわしい、「黄金・乳香・没薬」の三つを贈りました。心からの敬意と恭順の意を込めた贈り物です。若い夫婦にとっての「鎖」と「櫛」は、まさにそのような贈り物だというわけです。

 あー、すっきりしました。

 

 「マギ」は英語の「マジック」の語源だそうです。マギは占星術などを行う、不思議な力を持った存在ということから、そうなったのだと思われます。

 マギを導いた光り輝く星とは、「彗星」の事ではなかったかという説があるそうです。そう言えば、マジックには、油性の他に、「すいせいマジック」もありますね。納得です。

冬は太りますね

 先日、街で久しぶりに会ったA子さんのことです。

 A子さんは会う度に「太った、太った」と言うのですが、確かに少し太ったように見えました。体重をカミングアウトされたのですが、背の高い方で、それほどあるようには見えなかったので、ちょっとビックリしました。私も最近かなり太ったのですが、自分のことは棚にあげ、聞きました。

 私  「なんで?なんで太ったの?」

 A子 「お昼に毎日、ラーメン・チャーハン・ギョウザのセットを食べていたら」

 私  「それはいくらなんでも・・。なんで?来年、新弟子検査でも受けるの?」

 A子 「もう(笑)。身長はもう合格なんだけど」

 私  「舞の海より大きいんだ」

 A子 「そう、舞の海より大きいの(笑)」

 

 舞の海が新弟子検査の際に身長が足りず、頭にシリコンを注入して身長の水増しをしたというのは、一定年齢以上の青森県民にとっては「常識」なのです。「相撲王国・青森」ならではです。

 

 相撲といえば、40年ほど昔のことです。青森から弘前に向かう列車での出来事です。私の近くに老夫婦が座っていました。列車が「浪岡」という駅にさしかかると、おじいさんがおばあさんに言いました。

 

 おじいさん 「ここが、おしん横綱隆の里の出身地だ。青森県からは横綱が大勢出ている。」

 おばあさん 「青森は相撲が強いですね。岩手はさっぱり」

 

 どうやら、岩手県からいらした御夫婦のようでした。

 

 おじいさん 「津軽は米どころだから、とにかく米を腹一杯食べているんだろう。その点、岩手県は米がとれなくて貧しいから。頭で勝負するしかないから。ほら、岩手からは総理大臣が何人も出ているだろう」

 

 言うねえ、じいさん。まるで「猫だまし」のような、褒めると見せかけての見事なディスりっぷりに、強く印象に「のこった、のこった」のでした。

面白うてやがて哀しき名文です

今週のお題

「私が選ぶ2018ベスト1 エントリー」

 

こちらで紹介させて頂く記事は、とにかく名文だと思いました。そして、

ユーモアがあり、

今まで表面しか知らなかったホモの世界がぐっと身近に迫り、

考えさせられ、

筆者の知性にうなり、

最後は「活」を入れられました。

www.inubue.com

 

長文です。でも、読み始めたら止まりませんよ。

笑いました。これほど笑いのツボを押さえられた経験は無い、と思うほど。

そして、深い。

 

人は手に入れたものじゃなくて、手に入らなかったもので出来ているのだ。

こんな珠玉の表現が随所に散りばめられています。

 

 犬笛さんの記事はとにかくレベルが高い。惜しむらくは、寡作。新着記事はずいぶんご無沙汰です。

 私のこの記事は、ヘテロセクシャルで、女だけれど、「バラエティ班」所属の私からの、熱烈ラブコールです。新作、待ってますよ~

 

 しかし、犬笛さんの文章力は、月並みなダジャレですが、まさに「ゲイは身を助ける」ですね。お粗末。

 

「老害」の意味を正しく使って欲しい

 広辞苑によりますと

老害・・・硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること

 

 最近、はてなブログ等でも、「老害にはなりたくない」とか「あえて老害と呼ばれたい」とか、「老害」という言葉をよく目にします。気になるのは、単なる、老人から受けた被害や老人による暴力行為等までひとくくりに「老害」と表現されていることです。

 冒頭の広辞苑の意味のように、「老害」とは、権力を持った老人が、その権力にものを言わせて初めてなしえる行為なのです。

 

 人生80年時代。ちょっとやそっとでは老人は「引退」しませんからね。70過ぎても元気いっぱいに組織に君臨するご老人の方々。「後進に道を譲る」気などさらさらないでしょうから、「若手」は「待ち」の姿勢では無く「追い落とし」にかかる必要がありますね。でも、しないほうがいいですよ。そんな先例を作ったら、いつかは自分がやられますから。おとなしく列に並んで順番が回ってくるのを待つが吉。ああそうか。こうして組織の活力って、失われていくのね。

 

 さて。

 ただの年寄りがコンビニでぶち切れたり、年寄りだと言うだけで威張り腐った態度をとるのは、「老害」とは言わないのです。それらは長い人生で、「感謝」とか「謙虚」と言った美徳を身につけることが出来なかった、愚かで醜い年寄りの悪業に過ぎません。

 

 「人」という字を思い浮かべて下さい。今見えている「人」ではなく、手書き文字を思い浮かべて欲しいのです。

 ハイ、ヒトという字は~、ふんぞり返った誰かを、もう一人が懸命に支えている形ですね~。そうなんです、このふんぞり返った側が、「老害」となったり、「老醜」をさらしたりするんですね。

 組織でふんぞり返っているご老人、支えている側は潰れそうですよ~。

 また、持ちつ持たれつと言いますが、私のみるところ、人の役割は交互ではなく、「持つ」側はずうっと持ち、「持たれる」側はずうっと持たれるという、固定化したものの様な気がします。人から「持って貰う」のを当たり前に生きてきた老人は、思い通りになら無い場面に出会うと、簡単に爆発してしまうのでしょうね。

 

news.yahoo.co.jp

 日本ボクシング連盟の会長を辞任後も「恫喝」まがいの行為を続けた山根前会長が追放処分になったのだそうです。どうしたら、そこまでけんとう違いの老人になれるんでしょう。悲しく情けないニュースです。