おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「年取り」の思い出

 私の故郷では、大晦日の夜を「年取り」と呼び、夜にはご馳走を食べます。子供の頃、我が家では「年取り」は母の実家でお膳を食べるのが恒例で、そのお膳にはお年玉の袋も置かれました。

 お年玉を気にしながらお膳のご馳走を食べていると、決まって祖母から聞かれることがあります。

 「たかこは、今度、何歳になる?」

 私の返事は

 「昔の数え方だと〇才、誕生日が来れば〇才」

 

 明治生まれの祖母にとっては、年齢とは「数え年」のことだったので、祖母が実感として把握出来るよう、随分小さい頃からそういう風に答えていました。「満年齢」も付け加えるのは、「数え年」では何だかすっきりしない、自分自身のこだわりがあったからなのでしょう。

 

 今更感があるのですが、「数え年」と「満年齢」についてちょっと説明させてください。たま~に私のブログを読んでくれる、ウチの息子達に教えておきたいので。

 

 昔はさ、0才って考えがなかったから、人は生まれた瞬間に1才になるの。そして、その年が終わって、元旦を迎えると、すべての人が一斉に、一つ年をとるのさ。誕生日に年が増えるんじゃ無いの。極端な例だと12月31日に生まれた赤ちゃんは、次の日には2才になるってこと。だから、同じ年に生まれた人はいつでも全員同じ年。これが「数え年」。それに対して、生まれたときは0才、誕生日を迎えたら、1才プラスするというのが「満年齢」。こっちが今の一般的な年齢の数え方ね。

 ところが、人生の折々には、慣れ親しんだ「満年齢」ではなく、なじみの無い「数え年」で表される場面がちょいちょい出て来るの。厄年とか、長寿のお祝いの年齢とか。

 そして、これは「大人」でも結構知らない人がいるんだけど、人が亡くなったときの年齢、いわゆる「行年(ぎょうねん)」ってやつね、これも「数え年」で表すものなのよ。覚えておいて欲しいです。

 

 大晦日は、一晩寝れば、明くる日には一つ年をとっています。それで「年取り」と言ったのでしょう。「年取り」の思い出から、縁起でも無い「行年」の話まで行ってしまいましたが、次のような歌もあります。

 

 正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 

 有名な一休禅師の歌です。これも、「正月には一つ年をとる」ということを踏まえての作でしょう。正月もめでたい一方ではないというのもまた、年齢を重ねて実感するお正月の味わい方の一つかも知れませんね。

 

 さて、年末年始はさすがに不精者の私でも、それなりにいろいろ気ぜわしいこともあり、ちょっとブログはお休みします。皆さん寂しいでしょう(!)がお許しください。お正月明けには再開したいと思います。

 皆さん、「いいお年を」。そして、また一つ「いいお年」になってください。では。